カルナータカ太守の継承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/28 00:56 UTC 版)
「アンワールッディーン・ハーン」の記事における「カルナータカ太守の継承」の解説
1742年10月13日、カルナータカ太守サフダル・アリー・ハーンが暗殺されると、デカン地方のニザーム王国も彼の正当性を支持し、カルナータカ地方政権の領土に歩兵20万と騎兵8万の軍を送った。 1743年3月、ニザーム軍は首都アルコットを占領したのち、カルナータカにおける権力の確立しようと、ティルチラーパッリのマラーターを包囲し(ティルチラーパッリ包囲戦)、8月29日にこれを占領した。このとき、アンワールッディーン・ハーンはその指揮官を務めた。 1744年3月、太守サアーダトゥッラー・ハーン2世の後見役であったホージャ・アブドゥッラー・ハーンが暗殺されると、同月28日にアンワールッディーン・ハーンが新たな後見役となった。 そして、7月にサアーダトゥッラー・ハーン2世も暗殺され、アンワールッディーン・ハーンがニザームにより新太守に任命された。ここに、カルナータカ太守はナワーヤト朝に代わり、アンワーリーヤ朝が世襲するところとなった。 これに激怒したのがナワーヤト家のチャンダー・サーヒブだった。彼はサアーダトゥッラー・ハーン2世の義理の叔父で、ドースト・アリー・ハーンの娘婿である自分こそが新太守にふさわしいと思っていた。これにより、ナワーヤト朝とアンワーリーヤ朝との対立が生じることとなった。
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