カルナータカ太守への介入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/10 18:11 UTC 版)
「カマルッディーン・ハーン」の記事における「カルナータカ太守への介入」の解説
ニザーム王国はマラーターに敗れたとはいえ、同じようにムガル帝国から独立した南インドのカルナータカ太守にはよく介入していた。 1742年10月、太守サフダル・アリー・ハーンが従兄弟ムルタザー・アリー・ハーンに殺害されると、カマルッディーン・ハーンはすぐに歩兵20万、騎兵8万の大軍を送り、3月にアルコットを占拠した。 なお、ニザームの軍勢はそのままマラーターの支配するティルチラーパッリに向かい、同年8月29日にこの地を落とすことに成功した(ティルチラーパッリ包囲戦)。 1744年7月、サフダル・アリー・ハーンの幼い息子である太守サアーダトゥッラー・ハーン2世が暗殺されると、カマルッディーン・ハーンはまもなく自身の部下であるアンワールッディーン・ハーンを太守に任命した。
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