カイドゥ・ウルスの拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 15:40 UTC 版)
「シリギの乱」の記事における「カイドゥ・ウルスの拡大」の解説
「シリギの乱」がもたらした最も大きな影響はカイドゥの勢力の拡大であった。前述したように、シリギの乱の首謀者の多くはクビライの処罰を恐れ、カイドゥの勢力に亡命した。これは実質的に「モンケ・ウルス」及び「アリクブケ・ウルス」がカイドゥの傘下に入ったに等しく、これによってカイドゥは飛躍的に勢力を拡大することになった。20世紀半ばまでのモンゴル史研究では14世紀以降の「元朝と3ハン国」という図式を前提として13世紀の中央アジア情勢を叙述することが多く、「シリギの乱」以前のカイドゥを中央アジアの覇者として過大評価する傾向にあった。しかし実際には帝位継承戦争からシリギの乱に至る中央アジア情勢は流動的なものであり、カイドゥの勢力は限定されたものであった。「シリギの乱」はカイドゥ・ウルス(「カイドゥの国」)の強大化を決定づけ、「東方の大元ウルスと西方の3ウルス」という図式を決定づけたという点に大きな意義があると言える。
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