オランダ王太子妃として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 08:26 UTC 版)
「マクシマ・ソレギエタ」の記事における「オランダ王太子妃として」の解説
マクシマとウィレム=アレクサンダーは2001年3月30日に正式に婚約した。テレビ放送された婚約会見では、マクシマはほぼ流暢なオランダ語を披露した。 2002年2月2日、アムステルダムのブールス・ファン・ベルラーヘ(英語版)で民事婚を行い、アムステルダム新教会(英語版)にて宗教婚を執り行った。しかし、結婚の障害になりかけた妃の父ホルヘは式への出席を認められなかった。また、夫を一人残していけないとして、母マリアも式に欠席した。式中、アストル・ピアソラの「アディオス・ノニーノ」(Adiós Nonino 「さよならお父さん」)が流れた時、マクシマは両目から大粒の涙を流した。 2003年に第1子・長女カタリナ=アマリア王女(現オラニエ女公)が誕生、2005年には第2子・次女アレクシア王女が誕生している。2007年4月10日、第3子・三女となるアリアーネ王女が誕生した。 2005年、銀行で働いていた経験を生かし、国際連合の国際マイクロクレジット年におけるアドヴァイザーとなった。 LGBTの人権擁護活動(オランダにおけるLGBTの権利)を支援する世界でもまれな王族の一人である。マクシマの広報担当は、「プリンセスは、オランダ国内の全てのグループが平等な権利を持つことに賛同している。」と述べている。
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