オペラシオン・プエルト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/26 13:54 UTC 版)
「イヴァン・バッソ」の記事における「オペラシオン・プエルト」の解説
2006年ツール・ド・フランスの前日の6月30日、プロ・ツール界を覆ったドーピング問題(オペラシオン・プエルト)のあおりを受け、それ以後のレース出場中止を余儀なくされた。これについては関与への証拠が不十分としてイタリア・オリンピック委員会が審議を打ち切った事により、レース出場が可能となったが、現所属チームであるTEAM・CSCとの契約は打ち切りとなり、数チームと契約交渉を行ってきた。そして2006年11月8日(米国時間)にディスカバリー・プロサイクリングチームと契約を交わしたと発表、12月3日からオースティンで行われるチームトレーニングキャンプにバッソが参加すると報じた。しかし、2007年4月30日、ディスカバリー・プロサイクリングチームから離脱という結果に終わる。バッソへのドーピング疑惑のためにチームが来年度のスポンサー問題を抱えたことが、チーム離脱の要因とされている。 2007年5月7日、バッソは以前から囁かれていたドーピングへの組織的な関与を全面的に認め、イタリア・オリンピック委員会の調査へ協力することを表明した。ただし、この時の本人の弁によれば、2006年のツール・ド・フランスに向けて血液ドーピングの準備を進めていたが、それ以前に出場したレースでは総合優勝した同年のジロ・デ・イタリアも含めドーピングは一切行っていない、としており、現在でも2006年ジロ・デ・イタリア総合優勝などの以前のタイトルの剥奪は行われていない。また、この告白により、バッソは1年9ヶ月間の公式レースへの出場禁止をUCIより言い渡された。
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