オスマン船団の出港
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/21 20:04 UTC 版)
「ケフケン島沖海戦 (1915年8月)」の記事における「オスマン船団の出港」の解説
8月22日から23日にかけての深夜、「ヌムーネイ・ハミイェト」を伴ったオスマン輸送船団は港を後にした。午前5時、輸送船団は防護巡洋艦「ハミディイェ」および駆逐艦「ムアーヴェネティ・ミッリイェ」と合流した。輸送船団は岸側を航行し、「ハミディイェ」と2 隻の駆逐艦がその沖側についてこれを護衛した。行き先はイスタンブール、輸送船には首都に供給するための石炭が満載されていた。 一方、8月20日から炭鉱地区への攻撃作戦に従事していた黒海艦隊の艦隊水雷艇「ベスポコーイヌイ」と「グネーヴヌイ」は、いち早くオスマン船団の出港を察知した。両艦は沖合いで警戒に就いていた潜水艦「ネールパ」と艦隊水雷艇「ブィーストルイ」および「プロンジーテリヌイ」にこれを知らせた。「ネールパ」は、サカリヤ川河口付近にて敵護送船団を発見し、付近を警戒中の艦隊水雷艇に無線通信にて通報した。
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