オギンスキ
1.出身・主たる活動をした国
ポーランドに生まれた。外交官として各地を回り、フィレンツェで亡くなった。
2.学習・師事歴
ユズフ・コズウォフスキにヴァイオリンを師事。ヴィオッティやバイヨに学んだこともある。
3.作品
<祖国よ、さらば>が最もよく知られている。ポロネーズやマズルカ、ワルツといったピアノ作品が多い。また、現存していないものの、ポーランドの軍隊のために数多くの愛国的性格をもつ歌曲を創作した。
4.作曲以外の活動
軍人、外交官としての顔ももっていた。オランダやロンドン、リトアニア、ワルシャワ、コンスタンティノープル等、ヨーロッパ各地で勤務経験がある。
オギンスキ家
(オギンスキ から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/12 01:48 UTC 版)
オギンスキ家(ポーランド語:Ogiński;リトアニア語:Oginskiai)は、リトアニアおよびポーランド・リトアニア共和国の大貴族の家系。おそらくリューリク朝のチェルニゴフ公家の流れをくんでおり、14世紀にリトアニア大公国領に組み込まれたスモレンスク地方に住んでいた思われる。家名は都市ウォーギンタイ(現在のリトアニア、カイシャドリース地区)に由来する。リトアニアにおける一族の領地の大部分は、1486年大公アレクサンデルが与えたもので、かつてはディミトリ・フルショノク公の所領であった。リトアニア最有力の貴族家門の一つであった同家は、一族から多くの政府高官、および数人の著名な音楽家を輩出した。オギンスキ家はヴィテフスク県(現在のベラルーシ、ヴィーツェプスク一帯)を政治的地盤とし、17世紀前半にはサムエル・オギンスキが同地域に一族の宮殿を建てた。この宮殿は19世紀初めまでは、ヴィチェプスクにおける最大の建造物であった。
- 1 オギンスキ家とは
- 2 オギンスキ家の概要
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