オギンスキとは? わかりやすく解説

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オギンスキ

【英】:Oginski, Michal Kleofas
[ポーランド]  1765~1833

2008年8月 執筆者: 齊藤 紀子

1.出身主たる活動をした国
 ポーランド生まれた外交官として各地回りフィレンツェ亡くなった
2.学習師事歴
 ユズフ・コズウォフスキにヴァイオリン師事ヴィオッティやバイヨに学んだこともある。
3.作品
 <祖国よ、さらば>が最もよく知られている。ポロネーズマズルカワルツといったピアノ作品が多い。また、現存していないものの、ポーランド軍隊のために数多く愛国的性格をもつ歌曲創作した
4.作曲以外の活動
 軍人外交官としての顔ももっていた。オランダロンドンリトアニアワルシャワコンスタンティノープル等、ヨーロッパ各地勤務経験がある。

NOWAK-ROMANOWICZ, Alina.
「ミハウ・クレオファス=オギンスキ」『ニューグローブ世界音楽事典田村,進(日本語訳)、第3巻365頁。

ピアノ独奏曲


オギンスキ家

(オギンスキ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/12 01:48 UTC 版)

オギンスキ家ポーランド語:Ogiński;リトアニア語:Oginskiai)は、リトアニアおよびポーランド・リトアニア共和国の大貴族の家系。おそらくリューリク朝チェルニゴフ公家の流れをくんでおり、14世紀にリトアニア大公国領に組み込まれたスモレンスク地方に住んでいた思われる。家名は都市ウォーギンタイ(現在のリトアニア、カイシャドリース地区)に由来する。リトアニアにおける一族の領地の大部分は、1486年大公アレクサンデルが与えたもので、かつてはディミトリ・フルショノク公の所領であった。リトアニア最有力の貴族家門の一つであった同家は、一族から多くの政府高官、および数人の著名な音楽家を輩出した。オギンスキ家はヴィテフスク県(現在のベラルーシヴィーツェプスク一帯)を政治的地盤とし、17世紀前半にはサムエル・オギンスキが同地域に一族の宮殿を建てた。この宮殿は19世紀初めまでは、ヴィチェプスクにおける最大の建造物であった。




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