エース電子工業設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/08 00:27 UTC 版)
梯は28歳の時に電子楽器を自らのライフワークにすることを決心し、それまで趣味として関わっていた電子楽器の製作に本格的に取り組むために製造業への進出を決断した。小売業のエース電気株式会社は当時の仕事上のパートナーに任せ、自らは1960年に阪田商会社長の理解と出資に基づいてエース電子工業株式会社を設立し、製造業に専念することにした。エース電子工業製のオルガン第1号「SX-601」は、当時の主要株主の阪田商会の社長のつてでナショナルブランドのテクニトーンの初代機種として販売された。 1964年、梯は初めてNAMMショーに参加した。出展した製品は電子パーカッション「リズムエース R-1」と単音楽器「キャナリー S-2」の2点だけだったが、このNAMMショウでの経験は梯にとって大きな転機になった。
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