エスメラルダ (コルベット)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > エスメラルダ (コルベット)の意味・解説 

エスメラルダ (コルベット)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/07 21:26 UTC 版)

艦歴
発注: 1854年
起工: 1854年12月
進水: 1855年6月26日
就役: 1855年9月18日
退役:
その後: 1879年5月21日戦闘で沈没。
除籍:
主要目
排水量: 854トン
全長: 39.6m(130フィート
全幅: 9.8m(32フィート)
吃水: 5.5m(18フィート)
機関: 型式不明石炭専焼缶
 (主缶×2、補助缶×2)
+レシプロ機関2基1軸推進
最大出力: 200ihp、31rpm
最大速力: 8ノット
航続距離:
燃料: 石炭
乗員: 200名
兵装: 32ポンド滑腔砲20門
(改装後:アームストロング40ポンド前装ライフル砲12門、ホイットワース40ポンド前装滑腔砲4門)
装甲: なし

エスメラルダは、19世紀後半にチリ海軍が保有したコルベットの一隻。同名のチリ軍艦としては2代目となる。スペインとの戦争及び南米の太平洋戦争で使用され、イキケの海戦で沈没した。

建造

1852年6月30日に、チリ政府は、蒸気機関搭載のコルベットを建造する方針を決定した。しかし、議会の承諾がすぐに得られなかったので、着工は遅れて1854年となった。イギリスケント州ノースフリートにあったヘンリー・ピッチャー(Henry Pitcher)造船所に発注され、1854年12月に起工された。1855年6月に進水し、かつてスペインから鹵獲したフリゲートの艦名にちなんで「エスメラルダ」と命名された。艤装完了後にファルマスから出航し、1856年11月7日バルパライソに到着した。建造費用は21万7千ドルを要した[1]

船体は木造で、船底は銅板で保護されていた。推進装置スクリュー式で、帆走時には水中抵抗物となるスクリューを引き上げることも可能だった。コルベットであったが、同時期のフリゲート並みに高級な設備を有していたといえる。武装は舷側砲列式で32ポンド前装滑腔砲20門を装備していた。

運用

1865年、チリはスペインと開戦する。同年11月26日、コキンボ沖で「エスメラルダ」(Juan Williams Rebolledo艦長)はイギリスの旗と救難信号を掲げてスペイン砲艦「コバドンガ」に接近[2]。停船した「コバドンガ」に対し「エスメラルダ」はチリの旗を揚げて攻撃を開始し、「コバドンガ」を降伏させた[2]

その後「コバドンガ」はチリ海軍に編入された。

1867年から翌年にかけて改装工事を受けた。これにより武装を、アームストロング社製40ポンド前装ライフル砲12門、及びホイットワース社製40ポンド前装滑腔砲4門へと変更している。ボイラーも換装した。1875年には悪天候で座礁事故を起こし、チリ産のオーク材で修復されている。

その後、士官候補生の練習航海に使用されたりした。

太平洋戦争

1879年ペルーボリビア同盟との間で太平洋戦争が勃発する。

1879年4月3日、Williams Rebolledo率いるチリ艦隊(「アルミランテ・コクレーン」、「ブランコ・エンカラダ」、「エスメラルダ」ほか)はアントファガスタから北へ向かう[3]。4月5日にイキケ沖に着くと、Williamsは4月15日からの封鎖実施を宣言した[4]

5月16日(15日[5]とも)、Williamsは「エスメラルダ」と「コバドンガ」をイキケ封鎖に残し、カヤオ攻撃に向かった[6]。同じ16日、ペルー装甲艦「ワスカル」、「インデペンデンシア」は輸送船を護衛してカヤオを離れた[7]。5月20日にアリカに到着後、チリ艦隊主力がイキケに不在であることを知ったペルー側は装甲艦2隻をイキケへ向かわせた[7]。こうしてイキケの海戦が生起することとなる。

5月21日朝、「ワスカル」と「インデペンデンシア」はイキケに出現[8]。「エスメラルダ」艦長のアルトゥーロ・プラット (Arturo Prat) は吃水の深い敵艦が近づけず、また砲撃しにくくなることを狙って、「エスメラルダ」と「コバドンガ」を岸近くの町を背にした場所へと移動させた[9]。戦闘開始時、「エスメラルダ」ではボイラーに不調をきたし、速力が低下した[10]。ペルー側は「ワスカル」が「エスメラルダ」を、「インデペンデンシア」が「コバドンガ」を攻撃したが、その砲撃は正確さを欠いた[11]。一方「エスメラルダ」は「ワスカル」に命中弾を与えるも、その装甲を貫けなかった[12]。ペルーの砲台が砲撃を始めると「エスメラルダ」はその射程外へ逃れようと動き出したが、ボイラーの一つが破裂し、さらに機関室に被弾してそこにいた者全員が死亡[13]。動けなくなった「エスメラルダ」へ「ワスカル」は体当たりを行ったが、この1回目の体当たりは効果がなかった[13]。この時プラットは「ワスカル」へ乗り込むも彼に続いたのは一人のみで、二人とも死亡することとなる[14]。続いて「ワスカル」の2度目の体当たりをおこなうが効果不十分であった[15]。この時にはより多くのものが「ワスカル」に乗り込むも撃退された[16]。「エスメラルダ」は「ワスカル」の3度目の体当たりを受けた後、沈没した[17]。63名が救助されて捕虜となり、135名ないし149名が死亡した[18]

その後

「エスメラルダ」の沈没地点を示す浮標

「エスメラルダ」はイキケの海戦において勇敢に戦って沈没したと、チリでは評価されている。戦死した艦長のプラット中佐は、今でもチリ海軍にとって最大の英雄である[19]。イキケ沖42mの海底に沈んだ残骸は、1973年にチリの国指定歴史記念物に指定された。1979年にはチリ海軍のダイバーによる潜水調査で、その遺物が確認されている。毎年5月21日には、沈没地点で式典が行われている。

また、初代の「エスメラルダ」鹵獲の戦勝と合わせて、その艦名はチリ海軍にとって特別なものとなった[20]。そのため、21世紀初頭までに4隻の同名艦が建造されている。うち3代目は防護巡洋艦で、日本に売却されて「和泉」となった。最も新しい6代目は帆走練習艦の「エスメラルダ」で、2009年時点でもチリ海軍で運用されている。

脚注

  1. ^ チリ海軍の解説では“Costó $ 217.461.”となっているが、誤植と判断して本稿を執筆した。
  2. ^ a b Ironclads at War, p. 268, Ironclads in Action Vol. 1, p. 253
  3. ^ Andean Tragedy, p. 119
  4. ^ The Naval War of Pacific 1879-1884, p. 35
  5. ^ Andean Tragedy, p. 124
  6. ^ The Naval War of Pacific 1879-1884, p. 39, Ironclads at War, p. 302
  7. ^ a b The Naval War of Pacific 1879-1884, p. 40
  8. ^ Ironclads at War, pp. 303, 305
  9. ^ The Naval War of Pacific 1879-1884, p. 41, Ironclads at War, p. 305, Andean Tragedy, p. 129
  10. ^ Andean Tragedy, p. 129
  11. ^ The Naval War of Pacific 1879-1884, p. 43, Ironclads at War, p. 305
  12. ^ Ironclads at War, p. 306
  13. ^ a b The Naval War of Pacific 1879-1884, p. 43, Ironclads at War, p. 306
  14. ^ The Naval War of Pacific 1879-1884, p. 43
  15. ^ The Naval War of Pacific 1879-1884, pp. 43, 45
  16. ^ The Naval War of Pacific 1879-1884, p. 45, Ironclads at War, p. 307
  17. ^ The Naval War of Pacific 1879-1884, p. 45
  18. ^ The Naval War of Pacific 1879-1884, pp. 45, 47, Ironclads at War, p. 307
  19. ^ Greatest Hero of the Chilean Navy - チリ海軍公式英語版より。(2009年7月16日閲覧)
  20. ^ The name “Esmeralda” - チリ海軍公式英語版より。(2009年7月16日閲覧)

参考文献

  • Piotr Olender, The Naval War of Pacific 1879-1884: Saltpeter War, MMPBooks, 2020, ISBN 978-83-65958-77-8
  • Jack Greene, Alessandro Massignani, Ironclads at War: The Origin and Development of the Armored Warship, 1854-1891, Combined Publishing, 1998, ISBN 0-938289-58-6
  • William F. Sater, Andean Tragedy: Fighting the War of the Pacific, 1879-1884, University of Nebraska Press, 2007
  • H. W. Wilson, Ironclads in Action: A Sketch of Naval Warfare from 1855 to 1895 vol. 1 Fifth Edition, Sampson Low, Marston and Company, 1897

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「エスメラルダ (コルベット)」の関連用語

エスメラルダ (コルベット)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



エスメラルダ (コルベット)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのエスメラルダ (コルベット) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS