ウーニェチツェ文化の伝統
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/20 08:44 UTC 版)
「ウーニェチツェ文化」の記事における「ウーニェチツェ文化の伝統」の解説
墓所では土器の杯が見つかる。特にこの傾向はアドレルベルク群で顕著で、ウーニェチツェ文化の特徴のひとつであると見られる。これらの杯には西方の鐘状ビーカー文化の影響が見られる。V字型の穿孔をもつ骨製のボタン、石製のリストガードや鏃も鐘状ビーカー文化とのかかわりを示している。 ウーニェチツェ文化の伝統は、この地方における複数の地方文化が連携して形成されていると考えられている。ウーニェチツェ文化は複合文化で、ドイツにはアドレルベルク群、シュトラウビンク群、ジンゲン群、ネッカー・ライス群、ライン川上流群、オーストリアにはウンターヴェールブリンク群、ハンガリーにはハトヴァン群とナジレーフ群、スロバキアのニトラ群とコスチーャニ群があり、そしてポーランドにはのちにトシュチニェツ文化として広く発展することになるトシュチニェツ群(ミェシャノヴィツェ文化)とドブレ群が形成されている。ウーニェチツェ文化に隣接するドイツ北部、オランダ、ポーランド北部ではこの当時まだ、後期新石器時代に中央ヨーロッパ北部でよく作られていた大型ビーカー(漏斗状ビーカー)を作る伝統が支配的であった。北欧のスカンディナヴィア地方でも、中央ヨーロッパでずっと昔に廃れた、典型的な縄目紋土器を作る伝統がまだ続いていた。ドイツでのウーニェチツェ文化のそれぞれの文化群は互いにある程度の距離を取って存在していたが、発掘物からこれらは互いに連絡があったことが分かっており、フランス南部のローヌ文化(Rhône-culture)の初期群が東方へ進出するとその影響を受けて西から少しずつ変化しており、こういったドイツ南部地域のウーニェチツェ文化の地方文化群は、オーストリアにおけるウーニェチツェ文化のウンターヴェールブリンク群と酷似している。
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