ウドの離脱から解散まで(1986年 - 1989年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 14:28 UTC 版)
「アクセプト (バンド)」の記事における「ウドの離脱から解散まで(1986年 - 1989年)」の解説
1986年、アルバム『ロシアン・ルーレット』を発表するが、その直後にウドが脱退し(本人は後のインタビューで「解雇」だったと語っている)、自己のバンドU.D.O.を結成。なお、U.D.O.の1stアルバム『アニマル・ハウス』の収録曲は本来アクセプト用に作られていたが、バンド側がよりアメリカ向けの路線に変更することを決断したため、ウドが自分のアルバム用に収録した経緯があり、そのうち"Lay Down the Law"はアクセプトのメンバーが演奏にも参加している。 ウドの脱退後は、マイケル・ホワイトに続きロブ・アーミテージが後任として加入するが、アメリカ人のデイヴィッド・リースに決定される。またフィッシャーも再度脱退したためギタリストにイギリス人のジム・ステイシーを加入させ、1989年にアルバム『イート・ザ・ヒート』を発表。しかし、この頃カウフマンが激しいドラミングと長年のツアーから背骨の異常をきたし活動不能になる。後任のドラマーにはケン・メアリーが加入するも、ホフマンはバンドの解散を決意。その後、ホフマンは写真家に転向し、リースはバンガロー・クワイア(Bangarole Choir)を結成、カウフマンはU.D.O.やOutrageといったバンドの作品のプロデューサーに、バルテスはドン・ドッケンのバンドに招かれ、それぞれ活動する。
※この「ウドの離脱から解散まで(1986年 - 1989年)」の解説は、「アクセプト (バンド)」の解説の一部です。
「ウドの離脱から解散まで(1986年 - 1989年)」を含む「アクセプト (バンド)」の記事については、「アクセプト (バンド)」の概要を参照ください。
- ウドの離脱から解散までのページへのリンク