ウェントワース家(第1期)
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「ストラフォード伯爵」の記事における「ウェントワース家(第1期)」の解説
ウェントワース家はヨークシャー・ウェントワース・ウッドハウス(英語版)を中心に土地を保有するジェントリ(地主)の家系である。ウェントワース家の当主で最初に称号を得たのは1611年6月29日に準男爵に叙せられたウィリアム・ウェントワース(-1614)である。 彼の長男である第2代準男爵トマス・ウェントワース(1593–1641)は、清教徒革命(イングランド内戦)前夜の国王チャールズ1世の親政期(1629年 - 1640年)にカンタベリー大主教ウィリアム・ロードと共に国王側近として専制政治を行い、1640年から1641年にかけての議会で専制政治の責任を追及されて処刑された人物として知られる。それまでに国王から次々と爵位を与えられ、1628年7月22日にイングランド貴族爵位「ウェントワース・ウッドハウスのウェントワース男爵(英語版) (Baron Wentworth, of Wentworth Woodhouse)」と「ニューマーチ=オーバーズリー男爵 (Baron of Newmarch and Oversley)」、同年12月13日にイングランド貴族爵位「ウェントワース子爵(英語版) (Viscount Wentworth)」、そして1640年1月12日にイングランド貴族爵位ストラフォード伯爵(第1期)と「ダラム州・主教管区におけるラビー男爵 (Baron of Raby in the County or Bishopric of Durham)」に叙せられた。このうちラビー男爵は弟ウィリアムとジョージへの特別継承権が認められていた。 初代伯の処刑とともに全保有爵位が剥奪されたが、王政復古後の1662年5月19日の議会法により、初代伯の長男ウィリアム・ウェントワース(英語版)(1626–1695)に爵位回復が認められた。しかし彼には子供がなく、彼の死とともにラビー男爵位を除く全爵位が廃絶した。
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ウェントワース家(第2期)
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「ストラフォード伯爵」の記事における「ウェントワース家(第2期)」の解説
ラビー男爵位のみ特別継承権で初代ストラフォード伯(第1期)トマスの弟ウィリアムの孫にあたるトマス・ウェントワース(1672–1739)に継承された。彼は軍人・外交官・政治家として活躍し、駐プロイセン大使(在職1705年-1711年)や駐オランダ大使(在職1711年-1714年)、海軍大臣(英語版)(在職1712年-1714年)などを歴任し、1711年6月29日に新規にグレートブリテン貴族爵位「ヨーク州におけるスタインバラおよびウェントワース・ウッドハウスのウェントワース子爵 (Viscount Wentworth, of Wentworth Woodhouse and of Stainborough in the County of York)とストラフォード伯爵(第2期)に叙せられた。この2つの爵位は特別継承権として弟ピーターへの継承権を認めていた。 初代伯の死後、その長男であるウィリアム・ウェントワース(英語版)(1722–1791)が2代ストラフォード伯爵位を継承したが、彼には子供がなかったため、彼の死後、特別継承権の規定により初代伯の弟ピーターの孫にあたるフレデリック・ウェントワース(英語版)(1732–1799)が爵位を継承した。しかし彼も子供がなかったので彼の死とともに爵位は廃絶した。
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