ウェザー・リポート以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 10:27 UTC 版)
「ウェイン・ショーター」の記事における「ウェザー・リポート以降」の解説
ウェザー・リポート解散直前の1985年には10年ぶりのソロ・アルバム『アトランティス』を発表し、自身初となるリーダーバンドを伴っての意欲的なツアーを行った。続く『ファントム・ナビゲイター』『ジョイ・ライダー』とソロアルバムを発表した後は再びセッション活動等に重点を置き、1989年には、元イーグルスのドン・ヘンリーのヒット曲「The End of the Innocence」のサックス・パートを担当し、全米8位。1995年には7年振りとなるリーダー作『ハイ・ライフ』を発表する。しかし1996年のツアー中にトランス・ワールド航空800便墜落事故により妻を亡くす(夫を驚かせるために、訪ねることを事前に伝えずに搭乗したらしい)という不幸が起こってしまう(1985年には、重度の脳性小児マヒであった娘を亡くしている)。 2000年にはダニーロ・ペレス、ジョン・パティトゥッチ、ブライアン・ブレイドと共に新生アコースティック・カルテットを結成し、大きな話題を集める。新たなパートナーと再婚、70歳を超える現在もこのメンバーでの意欲的なツアー活動や様々なアーティストとのセッション活動を続けている。ウェザー・リポート時代を含め、グラミー賞を通算9度受賞している。作曲家としても高く評価されており、「Footprints」「Yes or No」などスタンダード・ナンバーとなっているものも少なくない。また、日本のスイングジャーナル誌の人気投票ソプラノサックス海外部門において、1973年から少なくとも2001年まで29年連続1位に輝いている。
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