ウェイマス子爵とは? わかりやすく解説

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バース侯爵

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/02 14:49 UTC 版)

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バース侯爵
Marquess of Bath

紋章記述

Arms: Quarterly: 1st and 4th, Barry of ten Or and Sable (Botteville); 2nd and 3rd, Argent, a Lion rampant with tail nowed and erect Gules (Thynne). Crest: A Reindeer statant Or. Supporters: Dexter: A Reindeer Or, gorged with a plain Collar Sable. Sinister: A Lion with tail nowed and erect Gules.[1]

創設時期 1789年8月18日
創設者 ジョージ3世
貴族 グレートブリテン貴族
初代 トマス・シン(3代ウェイマス子爵)
現所有者 スーアリン・シン英語版 (8代侯)
相続人 ジョン・シン(ウェイマス子爵)
相続資格 初代侯の直系の嫡出の男系男子(The 1st Marquess' heirs male of the body lawfully begotten)
付随称号 ウェイマス子爵、シン男爵、"コース城の"準男爵
現況 存続
邸宅 ロングリート
紋章標語 J'AY BONNE CAUSE
(われ大義とともにあり)

バース侯爵(Marquess of Bath)は、グレートブリテン貴族侯爵位。18世紀中期に閣僚職を歴任した第3代ウェイマス子爵トマス・シン1789年に叙されたのに始まる。

歴史

バース侯爵シン家の邸宅ロングリート

バース侯爵家の本邸であるイングランドウィルトシャーロングリートは、テューダー朝期の軍人・廷臣サー・ジョン・シン英語版(1515頃-1580)によって建設された。彼の曾孫にあたるサー・ヘンリー・シン(1615–1680)は、1641年7月15日にイングランドの準男爵位の"コース城の"準男爵(Baronet "of Caus Castle")に叙せられた[2]

その息子で2代準男爵位を継承したサー・トマス・シン英語版(1640–1714)は、庶民院議員を務めた後、1682年12月11日イングランド貴族爵位ウェイマス子爵(Viscount Weymouth)ウィルトシャー州におけるウォーミンスターのシン男爵(Baron Thynne, of Warminster in the County of Wiltshire)に叙せられて貴族院議員となった。この2つの爵位は自身の男系男子がない場合に2人の弟とその男系男子を特別継承者(special remainder)とする規定が付けられていた。その後、初代ウェイマス子爵は1702年から1707年にかけて通商及び海外プランテーション庁長官(First Lord of Trade and Foreign Plantations)を務めている[3][4]

初代ウェイマス子爵は女子しか残さなかったため、彼の死後は特別継承者の規定に基づいて弟ヘンリー・フレデリック・シン(生年不詳-1705)の孫にあたるトマス・シン(1710–1751)が2代ウェイマス子爵位を継承した[4]

初代バース侯トマス・シン

2代ウェイマス子爵の死後、彼とその妻ルイーザ・カートレット(1714-1736)(2代グランヴィル伯爵・2代カートレット男爵ジョン・カートレットの娘)の間の長男トマス・シン(1734–1796)が3代ウェイマス子爵を継承した。彼は初代チャタム伯爵ウィリアム・ピット(大ピット)からノース卿フレデリック・ノースに至る3代の内閣において重要閣僚職である北部担当国務大臣南部担当国務大臣を務め[5]、退任後の1789年8月18日グレートブリテン貴族爵位バース侯爵(Marquess of Bath)に叙せられた[6][7]

一方2代ウェイマス子爵とルイーザ・カートレットの次男(つまり初代バース侯の弟)ヘンリー・シン英語版(1735–1826)は、母方カートレット家の財産を継承してカートレット姓に改姓し、1784年に初代バース侯のヤンガーサン(次男以下)を特別継承者に規定したカートレット男爵位を新規に与えられている[8]。1826年にヘンリー・カートレットが死去すると特別継承規定に基づき、初代バース侯の次男ジョージ・シン英語版が2代カートレット男爵[9]、ついで三男ジョン・シン英語版が3代カートレット男爵位を継承している(いずれにも男子が無かったので3代カートレット男爵の死去とともに廃絶した)[10]

一方バース侯爵位の方は、初代バース侯の死後、その長男であるトマス・シン(1765–1837)が2代バース侯を継承した。彼は襲爵前にトーリー党の庶民院議員を務めていた[6][11]

彼の死後はその息子でやはりトーリー党の庶民院議員をしていたヘンリー・フレデリック・シン英語版(1797–1837)が3代バース侯爵位を継承したが、襲爵後すぐに死去した[6][12]

その息子である4代バース侯ジョン・アレグザンダー・シン英語版(1831–1896)は、ポルトガルやオーストリアへの外交使節(Envoy Extraordinary)を務めた。またナショナル・ポートレート・ギャラリー大英博物館の受託者(Trustee)も務めた[13]

その息子である5代バース侯トマス・ヘンリー・シン英語版(1862-1946)は襲爵前に保守党の庶民院議員を務め、襲爵後の1905年中にアーサー・バルフォア内閣においてインド担当省政務次官英語版を務めた[6][14]

その長男であるウェイマス子爵(儀礼称号)ジョン・アレグザンダー・シン(1895-1916)は襲爵前に第一次世界大戦で戦死し、子供もなかったため[15]、5代バース侯の死後は次男ヘンリー・フレデリック・シン英語版(1905–1992)が6代バース侯を継承した。彼も襲爵前に保守党の庶民院議員を務めていた。第二次世界大戦が勃発すると従軍した[16]

6代侯の死後はその息子であるアレグザンダー・ジョージ・シン英語版が7代バース侯を継承した[6]

7代侯アレグザンダー(1932-2020)は作家として多数の著作を有していたほか、1976年にはThynneの家名のeを取り除いたThynnに改姓している。彼は2020年に新型コロナウイルスに感染して死去したため、爵位は息子スーアリンに継承された[17][18]

8代侯スーアリン(1974-)2020年現在のバース侯爵家現当主である。

現当主の保有爵位

現当主である第8代バース侯爵スーアリン・ヘンリー・ラズロ・シン英語版は以下の爵位を保有している[6][19]

  • 第8代バース侯爵 (8th Marquess of Bath)
    (1789年8月18日勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
  • 第10代ウェイマス子爵 (10th Viscount Weymouth)
    (1682年12月11日の勅許状によるイングランド貴族爵位)
  • ウォルトシャー州におけるウォーミンスターの第10代シン男爵 (10th Baron Thynne, of Warminster in the County of Wiltshire)
    (1682年12月11日の勅許状によるイングランド貴族爵位)
  • "コース城の"第11代準男爵 (11th Baronet "of Caus Castle")
    (1641年6月15日の勅許状によるイングランド準男爵位)

歴代当主

"コース城の"準男爵 (1641年)

  • 初代準男爵サー・ヘンリー・フレデリック・シン(Henry Frederick Thynne, 1615–1680)
  • 2代準男爵サー・トマス・シン英語版 (Thomas Thynne, 1640–1714) - 先代の息子。1682年にウェイマス子爵

ウェイマス子爵 (1682年)

  • 初代ウェイマス子爵トマス・シン英語版 (Thomas Thynne, 1640–1714)
  • 2代ウェイマス子爵トマス・シン (Thomas Thynne, 1710–1751) - 先代の弟の孫
  • 3代ウェイマス子爵トマス・シン (Thomas Thynne, 1734–1796) - 先代の息子。1789年にバース侯爵

バース侯 (1789年)

  • 初代バース侯トマス・シン (Thomas Thynne, 1734–1796)
  • 2代バース侯トマス・シン (Thomas Thynne, 1765–1837) - 先代の息子
  • 3代バース侯ヘンリー・フレデリック・シン英語版 (Henry Frederick Thynne, 1797–1837) - 先代の息子
  • 4代バース侯ジョン・アレグザンダー・シン英語版 (John Alexander Thynne, 1831–1896) - 先代の息子
  • 5代バース侯トマス・ヘンリー・シン英語版 (Thomas Henry Thynne, 1862–1946) - 先代の息子
  • 6代バース侯ヘンリー・フレデリック・シン英語版 (Henry Frederick Thynne, 1905–1992) - 先代の息子
  • 7代バース侯アレグザンダー・ジョージ・シン英語版 (Alexander George Thynn, 1932-2020) - 先代の息子
  • 8代バース侯スーアリン・ヘンリー・ラズロ・シン英語版(Ceawlin Henry Laszlo Thynn, 1974-)-先代の息子
    • 法定推定相続人は、現当主の息子ウェイマス子爵(儀礼称号)ジョン・アレクサンダー・ラディ・シン (John Alexander Ladi Thynn, 2014-)
    • 推定相続人は現当主の次男ヘンリー・リチャード・アイザック・シン閣下(2016-)。続く男子系統は、6代侯の四男の子孫であるルシアン・ヘンリー・ヴァレンティン・シン(1965-)

家系図

脚注

[脚注の使い方]

注釈

出典

  1. ^ Montague-Smith, P.W. (ed.), Debrett's Peerage, Baronetage, Knightage and Companionage, Kelly's Directories Ltd, Kingston-upon-Thames, 1968, p.119
  2. ^ Lundy, Darryl. “Sir Henry Frederick Thynne, 1st Bt.” (英語). thepeerage.com. 2017年11月25日閲覧。
  3. ^ Lundy, Darryl. “Thomas Thynne, 1st Viscount Weymouth” (英語). thepeerage.com. 2017年11月25日閲覧。
  4. ^ a b Heraldic Media Limited. “Weymouth, Viscount (E, 1682)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2017年11月25日閲覧。
  5. ^ 今井宏(編) 1990, p. 323.
  6. ^ a b c d e f Heraldic Media Limited. “Bath, Marquess of (GB, 1789)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2017年11月25日閲覧。
  7. ^ Lundy, Darryl. “Thomas Thynne, 1st Marquess of Bath” (英語). thepeerage.com. 2017年11月25日閲覧。
  8. ^ Lundy, Darryl. “Henry Frederick Carteret, 1st Baron Carteret of Hawnes” (英語). thepeerage.com. 2017年11月25日閲覧。
  9. ^ Lundy, Darryl. “George Thynne, 2nd Baron Carteret of Hawnes” (英語). thepeerage.com. 2017年11月25日閲覧。
  10. ^ Lundy, Darryl. “John Thynne, 3rd Baron Carteret of Hawnes” (英語). thepeerage.com. 2017年11月25日閲覧。
  11. ^ Lundy, Darryl. “Thomas Thynne, 2nd Marquess of Bath” (英語). thepeerage.com. 2017年11月25日閲覧。
  12. ^ Lundy, Darryl. “Henry Frederick Thynne, 3rd Marquess of Bath” (英語). thepeerage.com. 2017年11月25日閲覧。
  13. ^ Lundy, Darryl. “John Alexander Thynne, 4th Marquess of Bath” (英語). thepeerage.com. 2017年11月25日閲覧。
  14. ^ Lundy, Darryl. “Thomas Henry Thynne, 5th Marquess of Bath” (英語). thepeerage.com. 2017年11月25日閲覧。
  15. ^ Lundy, Darryl. “2nd Lt. John Alexander Thynne, Viscount Weymouth” (英語). thepeerage.com. 2017年11月25日閲覧。
  16. ^ Lundy, Darryl. “Henry Frederick Thynne, 6th Marquess of Bath” (英語). thepeerage.com. 2017年11月25日閲覧。
  17. ^ “Lord Bath dies after contracting coronavirus” (英語). BBC News. (2020年4月5日). https://www.bbc.com/news/uk-england-bristol-52173794 2020年4月5日閲覧。 
  18. ^ “Obituary: The Marquess of Bath” (英語). BBC News. (2020年4月5日). https://www.bbc.com/news/uk-13797011 2020年4月5日閲覧。 
  19. ^ Lundy, Darryl. “Alexander George Thynn, 7th Marquess of Bath” (英語). thepeerage.com. 2017年11月25日閲覧。

参考文献

関連項目


ウェイマス子爵 (1682年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/02 14:49 UTC 版)

バース侯爵」の記事における「ウェイマス子爵 (1682年)」の解説

初代ウェイマス子爵トマス・シン英語版) (Thomas Thynne, 1640–1714) 2代ウェイマス子爵トマス・シン (Thomas Thynne, 1710–1751) - 先代の弟の孫 3代ウェイマス子爵トマス・シン (Thomas Thynne, 1734–1796) - 先代息子1789年バース侯爵

※この「ウェイマス子爵 (1682年)」の解説は、「バース侯爵」の解説の一部です。
「ウェイマス子爵 (1682年)」を含む「バース侯爵」の記事については、「バース侯爵」の概要を参照ください。

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