ウェイイの城壁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/10 03:35 UTC 版)
ウェイイのある場所は、イソラ・ファルネーゼ(イソラ (isola)は「高台」、ファルネーゼ (Farnese) は所有者だった「ファルネーゼ家」を意味する)の190ヘクタールの凝灰岩の高台であり、現在の集落から北に広がり、北から東に流れる小川が反対側の端になっている。この小川は数マイル東に流れ、ラバロの南でフラミニア街道がテヴェレ川沿って進むあたりに合流している。大まかに言えばウェイイはテヴェレ川の右岸にあるが、若干離れている。実際ウェイイの都市国家としての領域はその高台を中心としたかなり広い地域であり、テヴェレ川に面していた。 その大部分は個人の土地であるため未開発の耕地だが、丘周辺に見えている墓や集落だけが発掘されている。農地になっているため判りにくいが、台地全体が集落や墓地で覆われており、航空写真などで見ると建物の壁や墓のドームが土の中のしみとして見える。これらの露出して見えている場所にはそれぞれ名前が付いている。ウェイイの城壁はごく一部が現存しており、2つの小川が合流するあたりで小川を堀代わりにし、台地上を横切って三角形の領域を取り囲んでいる。 古代においてこの台地は2つの小川に囲まれ、防御しやすく、同時に水の供給も十分だった。テヴェレ川や後にフラミニア街道となった交易路にも近いことでウェイイは発展していったが、同時にラティウムの支配権をめぐってローマと競争することになった。
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