イングランドのジャコバイト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/23 01:35 UTC 版)
「ジャコバイト」の記事における「イングランドのジャコバイト」の解説
イングランド内では、ジャコバイトが高度に組織化されることはあまりなかったものの、ウィリアム3世・メアリー2世両王よりジェームズ2世を依然支持する声もあった。特に保守派であったトーリーに多かったといわれるが、その中でも公然とジャコバイトであると言明する者から、板挟みになって悩む者、名誉革命を支持する者など多様な反応に分かれた。 これはトーリーは世襲君主政の原則を尊重しており、この意味では正嫡継承を主張するジャコバイトの立場に近かったためである。一方でトーリーは国教会維持の性格も併せ持っており、カトリック信者のジェームズを王に戴くことへの疑問もあった。しかし議会での反対勢力であるホイッグのウォルポールがおしすすめた「ジャコバイトは危険分子である」というキャンペーンや国際情勢から、公然とジャコバイトを名乗ることは次第に政治生命を危険にさらす行為となっていった。 またこれとは別に、その時々の体制に不満を持つ者や失地回復を望む者が、ホイッグ・トーリーに関わらず、亡命したステュアート家に希望を託すためにジャコバイトとなる例もあった。
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