イングランドのアジール権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 05:07 UTC 版)
「アジール権」の記事における「イングランドのアジール権」の解説
ケント王エセルバルトは600年ごろ、アジール権に対するイングランド最初の法律を発布した。ノルマン時代になると、アジール権は二種類に分かれ、すべての教会に認められる低級のものと、王の勅許を得た上級のものが設定された。少なくとも22の教会が上級のアジール権を認められた。この22の教会には、バトル・アベイ、ビヴァリー、コルチェスター、ダーハム、ヘクサム、ノリッジ、リポン、ウェルズ、ウィンチェスター大聖堂、ウェストミンスター寺院、ヨーク大聖堂が含まれる。これらの聖域に逃げ込んだものは40日間王の令状によって逮捕されない権利を得た。 アジールとしてのイングランドの教会はコモン・ローのもとにあった。教会に逃げ込んだものは、告悔をし、武器を渡し、逃げ込んだ教会の責任者または修道院長の監督を受けた。この聖域にとどまる40日間に、罪人は2つの選択肢のうち1つを選ばねばならなかった。ひとつは当局に渡されて裁判を受けることであり、もうひとつは有罪を認めて最短距離で「王国ノ領土外ニ」亡命し、王の許しを得ぬ限り帰国しないことであった。後者を選んだものは、誰であれ再び戻れば法によって処刑されるか、教会から破門された。両方の処罰が課されることもあった。 14世紀頃からアジール権を廃止する要望が出るようになった。とくに債務逃れのためにアジール権を用いるものが出るようになり、問題とされた(当時のイングランドでは債務不履行は刑事事件として扱われた)。ヘンリー8世はアジール権についての法を変え、アジール権を請求しうる犯罪の種類を大幅に減らした。イングランドでのアジール権はジェームズ1世により1623年完全に撤廃された。
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