イギリスにおける成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/05 04:01 UTC 版)
会衆派教会の歴史的起源はイングランド(イギリス)の宗教改革にある。 16世紀初頭、ドイツでマルティン・ルターによる宗教改革が行われ、その影響を受けてイングランドでも宗教改革が起こった。なかでも、イングランド国教会司祭ロバート・ブラウン(英語版)らによる分離派改革運動は、後の会衆派教会へとつながる流れとなる。ブラウンらはエリザベス1世治下の英国国教会を宗教改革を徹底していないとして批判し、真の教会は自覚的に悔い改めてキリスト者の生活をなす人により構成されること、また教会は王権ではなく教会自身の手のみによって改革されなければならず、国家から独立していなければならないことを主張した(分離派)。分離派は国家に弾圧されて抵抗し、一部の人々は信仰の自由を求めて1620年にアメリカ大陸に渡った。彼らがピルグリム・ファーザーズと呼ばれる人々である。 また、イングランドに残った分離派は独立派と呼ばれ、1642年から1649年の清教徒革命(イングランド内戦)で、オリバー・クロムウェルを指導者として中心的な役割を果たすことになった。なお、イングランドにおける宗教改革期にピューリタンと呼ばれたのは、分離派(後の独立派、現在の会衆派)、長老派、バプテスト、クエーカーなどの人々である。
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