イギリスにおける摂政王太子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/30 07:46 UTC 版)
「摂政皇太子」の記事における「イギリスにおける摂政王太子」の解説
詳細は「摂政時代」を参照 英語圏で「摂政王太子 (Prince Regent)」といえば、一般的にはイギリス国王ジョージ4世のことである。父王ジョージ3世が精神異常をきたして無能力状態に陥ったため、プリンス・オブ・ウェールズであったジョージが摂政となった。ロンドンにあるリージェンツ・パークやリージェント・ストリートは、この後のジョージ4世にちなんで名付けられたものである。 ジョージ4世が、即位に先立ち摂政王太子として統治した時代は、「イギリスの摂政時代 (British Regency)」、あるいは単に「摂政時代 (Regency)」と呼ばれる。 摂政王太子の称号は、1811年2月5日にジョージに与えられた。当初の間は摂政の権限には一定の制約があったものの、摂政王太子は国王のあらゆる権能を執行することができた。1788年に父王ジョージ3世が最初の狂気の発作に見舞われた「摂政危機 (Regency Crisis)」(このときはジョージ3世がいったん回復したため摂政を置くには至らなかった)と同様の状態が、やがて再発した。ウェールズ公ジョージは、父王崩御の1820年まで摂政を務めた後、即位してジョージ4世となった。
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