アート・スクール、アートディレクター時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 09:16 UTC 版)
「コウタ」の記事における「アート・スクール、アートディレクター時代」の解説
士官学校を出た後、両親が戻っていたニューヨークへ移る。ニューヨークのアート・デザイン・シーンに刺激され、デザインを真剣に勉強しようと思い立ち、パーソンズ美術大学に入学。ウエスト・ヴィレッジに仲間と住み、クラブ通いなど放埓な生活を送る。 3年生の時に電通ヤング・アンド・ルビカムのニューヨーク支店からスカウトされ、研修の後アシスタント・アート・ディレクターとして入社、短期間でアート・ディレクターに昇格する。当時ニューヨークの広告業界では“ジャパネスク”が流行しており、その波に乗って自身の日本的美意識を武器に、日本の宝飾メーカーや家電メーカー等の広告制作を手がける。 この時期に出会った女性と同棲生活を経て結婚。二女一男を儲ける。この頃既に自分は女性であるという自覚がはっきりあったものの、知らず知らずのうちに自身の女性性を抑圧する生活に移行していった。
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