アンナ・スマシュノワとは? わかりやすく解説

アンナ・スマシュノワ

(アンナ・スマシュノワ・ピストレッシ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/28 05:21 UTC 版)

アンナ・スマシュノワ
Anna Smashnova
基本情報
国籍 イスラエル
出身地 ベラルーシ・ミンスク
居住地 イスラエル・ヘルツリーヤ
生年月日 (1976-07-16) 1976年7月16日(41歳)
身長 157cm
体重 53kg
利き手
バックハンド 片手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1991年
引退年 2007年
ツアー通算 12勝
シングルス 12勝
ダブルス 0勝
生涯通算成績 432勝349敗
シングルス 401勝304敗
ダブルス 31勝45敗
生涯獲得賞金 $2,274,431
4大大会最高成績・シングルス
全豪 3回戦(1995・2003・05)
全仏 4回戦(1995・98)
全英 3回戦(2000)
全米 3回戦(1994)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 1回戦(2006・07)
全仏 1回戦(2005・06)
全英 1回戦(2005・06)
全米 2回戦(2005)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 15位(2003年2月3日)
ダブルス 275位(2006年7月10日)

アンナ・スマシュノワAnna Smashnova, ヘブライ語אנה סמשנובה, ベラルーシ語: Анна Смашнова, 1976年7月16日 - )は、イスラエルの女子プロテニス選手。

ソ連(現在のベラルーシ)・ミンスク生まれ。クレーコート(赤土)を最も得意とするベースライン・プレーヤーである。右利き、バックハンド・ストロークは片手打ち。シングルス自己最高ランキングは15位。WTAツアーでシングルス12勝を挙げた(ダブルス優勝はない)。2002年12月7日にイタリアの元プロテニス選手、クラウディオ・ピストレッシ英語版と結婚したことから、「アンナ・スマシュノワ・ピストレッシ」(Anna Smashnova-Pistolesi)と名乗ったこともある(後に離婚した)。

来歴

スマシュノワの出身地はソ連(現在のベラルーシ)・ミンスクだが、14歳を迎えた1990年9月からイスラエルに定住するようになった。1991年1月にプロ入り。1992年から4大大会の予選に出場に挑戦を始め、1994年全豪オープンで4大大会初出場。同年の全仏オープンで、スマシュノワは第5シードのヤナ・ノボトナを1回戦で破り、初めて世界ランキングトップ10位以内の選手に勝った。1994年全米オープン1995年全豪オープンで、2大会連続で3回戦に進出した後、1995年全仏オープンで4回戦進出を果たした。それから3年後、全仏オープンでは1998年にも4回戦進出がある。4大大会ではこれが自己最高成績で、ベスト8以上の上位進出はなかった。

女子テニスツアーの下部組織の大会で6勝した後、1999年にWTAツアー大会で初優勝を達成。それ以来、ツアーでシングルス通算12勝を挙げ、2006年ハンガリーブダペスト大会で2連覇を果たした。これが彼女の最後のツアー優勝になり(12勝目)、2007年6月のウィンブルドン1回戦でマルチナ・ミュラー(ドイツ)に 0-6, 0-6 で敗れた試合を最後に現役を引退した。

2006年8月、アンナ・スマシュノワは国際テニス連盟から「テニスに貢献した選手の賞」(Awards for Services to the Game)を授与された。一緒に選ばれた選手は総計13名で、その中にはジュジャ・ケルメツィハンガリー)、クルト・ニールセンデンマーク)、加茂公成日本)、ジーナ・ガリソンアメリカ)、バルバラ・シェットオーストリア)、リーンダー・パエスインド)などがいる。イスラエルの大黒柱として活動してきたスマシュノワは、こうしてテニス界における国際的な貢献を認められた。

WTAツアー決勝進出結果

シングルス: 13回 (12勝1敗)

大会グレード
グランドスラム (0–0)
ティア I (0–0)
ティア II (0–0)
ティア III (3–0)
ティア IV & V (9–1)
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
優勝 1. 1999年6月13日 タシケント ハード ローレンス・クルトワ 6–3, 6–3
優勝 2. 2000年7月23日 クノック=ヘイスト クレー ドミニク・ファン・ルースト 6–2, 7–5
優勝 3. 2002年1月6日 オークランド ハード タチアナ・パノワ 6–2, 6–2
優勝 4. 2002年1月13日 キャンベラ ハード タマリネ・タナスガーン 7–5, 7–6(2)
優勝 5. 2002年6月16日 ウィーン クレー イロダ・ツルヤガノワ 6–4, 6–1
優勝 6. 2002年9月15日 上海 ハード アンナ・クルニコワ 6–2, 6–3
優勝 7. 2003年8月2日 ソポト クレー クララ・ザコパロバ 6–2, 6–0
優勝 8. 2003年8月10日 ヘルシンキ クレー エレナ・コスタニッチ 4–6, 6–4, 6–0
優勝 9. 2004年5月22日 ウィーン クレー アリシア・モリク 6–2, 3–6, 6–2
優勝 10. 2005年7月17日 モデナ クレー タチアナ・ガルビン 6–6 途中棄権
優勝 11. 2005年7月31日 ブダペスト クレー カタリナ・カスタノ 6–2, 6–2
優勝 12. 2006年7月30日 ブダペスト クレー ルルド・ドミンゲス・リノ 6–1, 6–3
準優勝 1. 2006年8月26日 フォレストヒルズ ハード メガン・ショーネシー 6–1, 0–4, 4–6

4大大会シングルス成績

略語の説明
W  F  SF QF #R RR Q# LQ A WG Z# PO SF-B S G NMS NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加
WG=デビスカップワールドグループ, Z#=デビスカップ地域ゾーン, PO=デビスカッププレーオフ, SF-B=オリンピック銅メダル, S=オリンピック銀メダル, G=オリンピック金メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, NH=開催なし.

大会 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 通算成績
全豪オープン A LQ 2R 3R 2R LQ LQ 2R 1R 1R 1R 3R 2R 3R 1R 1R 10–12
全仏オープン A A 2R 4R 1R A 4R 3R 1R 1R 1R 2R 3R 2R 1R 1R 13–13
ウィンブルドン LQ A 2R 1R 1R A 1R 1R 3R 1R 1R 1R 1R 1R 1R 1R 3–13
全米オープン LQ A 3R 1R LQ LQ 1R 1R 1R 1R 2R 1R 1R 2R 1R A 4–11

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