アレクサンドロフスキー庭園とは? わかりやすく解説

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アレクサンドロフスキー庭園

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 02:27 UTC 版)

クレムリン」の記事における「アレクサンドロフスキー庭園」の解説

アレクサンドロフスキー庭園(Александровский сад)は、クレムリン北西部沿って伸びるモスクワ最古公立公園1812年ロシア戦役モスクワナポレオン大陸軍占領された際、モスクワ市街は数日間にわたる大火全焼した大陸軍退却後、皇帝アレクサンドル1世モスクワ再建開始したが、クレムリンの下を流れるネグリンナヤ川の汚染かねてから激しかったことから地下水路化することにし、川の跡地庭園を造らせることにした。これがアレクサンドロフスキー庭園である。設計はオシップ・ボーヴェ。1819年から建設始まり1823年完成した庭園は、北から上・中・下の庭園分かれている。クレムリン北端革命広場面したウグロヴァーヤ・アルセナーリャ塔からトロイツカヤ塔までの間は「上の庭園」で、1967年大祖国戦争戦死者のために築かれた「無名戦士の墓」、イタリア風の洞窟グロット)、マネージ広場との間にある噴水ロマノフ王朝300周年記念して建てられオベリスクモスクワ総主教ゲルモゲン記念碑薔薇園などがある。トロイツカヤ塔からボロヴィツカヤ塔までの間は「中の庭園」で、トロイツカヤ塔からクレムリンへの入場券売り場や、アレクサンドル1世記念碑が立つ、木立囲まれ公園である。ボロヴィツカヤ塔からクレムリン南端モスクワ川面したヴォドヴズヴォドナヤ塔までの短い区間は「下の庭園」で、遊歩道のないけがある

※この「アレクサンドロフスキー庭園」の解説は、「クレムリン」の解説の一部です。
「アレクサンドロフスキー庭園」を含む「クレムリン」の記事については、「クレムリン」の概要を参照ください。

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