アレクサンドロスの時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/07 16:15 UTC 版)
「マッサゲタイ」の記事における「アレクサンドロスの時代」の解説
紀元前329年頃、アレクサンドロスがヤクサルテス(シルダリヤ川)河畔で砦を建設している間に、元ベッソスの側近であったスピタメネスが配下のソグディアナ人,バクトリア人とともにマラカンダ(サマルカンド)で反乱を起こした。これに対しアレクサンドロスはすぐさま鎮圧に向かい、スピタメネスらをマラカンダから駆逐した。その後、スピタメネスらはマッサゲタイ人の土地へ逃れ、そこで補給と騎兵600を手にすると、マッサゲタイ人とともにバクトリアネ地方を襲撃した。この時、ザリアスパ(バクトラ)守備にあたっていたキタラ奏者のアリストニコスを戦死させ、ソシクレスの子ペイトンを捕虜とした。これに対し、マケドニアのクラテロスは全速力でマッサゲタイ人に迫り、マッサゲタイ騎兵と戦って勝利するが、その大部分を逃がしてしまう。その後もスピタメネスは至る所へ出没したが、遂に周辺のスキタイ人3千を味方につけ、ソグディアナ攻撃にかかった。アレクサンドロスの命により、ソグディアナの守備を任されていたのはコイノスであり、彼は反乱軍が迫ってくるのを知ると配下の部隊を率いてこれを迎え撃った。両者の間で激しい戦闘が繰り広げられたが、遂にコイノス側が勝利し、反乱軍からはスピタメネスに従っていたソグディア人,バクトリア人などが投降してきた。一方、マッサゲタイ人,スキタイ人らはスピタメネスを擁して草原地帯へ逃れたが、アレクサンドロスがこちらに向かっていると聞き、スピタメネスの首をはねてアレクサンドロスのもとへ送った。
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