アレクサンドロスの侵入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 07:56 UTC 版)
以上のサカ人はアケメネス朝支配下のサカ人であり、その他のサカ人はなおもヤクサルテス川の北方に住み続け、常にアケメネス朝の脅威として存在していた。 紀元前334年から紀元前331年の4年間に東方へ進軍したアレクサンドロスは中央アジアを支配下に置き、ヤクサルテス川を挟んでサカ人と対峙した。ソグディアナにおいてスピタメネスが抵抗運動を行い、サマルカンドを攻撃してアレクサンドロスの後方を脅かしたため、マケドニア軍の数部隊が壊滅した、アレクサンドロスは緘口令を敷いて敗残兵を全員処刑、すぐさまヤクサルテス川を渡って救援に向かったが、何ら成果を挙げないまま利あらずと判断して撤退した。 これ以降、サカ人はアレクサンドロスおよびその後継勢力と一進一退を繰り返したが、紀元前3世紀半ばになると、西方では同じ遊牧民であるパルティアに服属し始め、東方ではトガリ(トハラ人)が勢力を拡大し、ソグディアナを占領して南のグレコ・バクトリア王国を脅かした。
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