アレクサンドル・ボゴモロフ (外交官)とは? わかりやすく解説

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アレクサンドル・ボゴモロフ (外交官)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/24 22:57 UTC 版)

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アレクサンドル・エフレモヴィチ・ボゴモロフ
Александр Ефремович Богомолов
生年月日 1900年
没年月日 1969年(68 - 69歳没)
死没地 ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国モスクワ
出身校 赤軍高等軍事政治学校卒業
前職 軍人
所属政党 ボリシェヴィキ→)
ソビエト連邦共産党
称号 レーニン勲章[1]
祖国戦争勲章1等[1]
名誉記章勲章ロシア語版(2回)[1]
子女 セルゲイ (ru)[2]

フランス全権代表・特命全権大使
フランス国民解放委員会ロシア語版担当全権代表
在任期間 1940年3月29日 - 1941年6月30日
1943年9月21日 - 1950年3月25日

在ロンドン連合国政府担当特命全権大使
在任期間 1941年 - 1943年11月30日

在ロンドン・ポーランド政府担当
特命全権大使
在任期間 1941年8月21日 - 1943年4月25日

在ロンドン・ユーゴスラビア政府スペイン語版担当
特命全権大使
在任期間 1941年8月21日 - 1943年11月12日

在ロンドン・ノルウェー政府ノルウェー語版担当
特命全権大使
在任期間 1941年8月21日 - 1943年11月30日

その他の職歴
在ロンドン・ギリシャ政府担当
特命全権公使・大使

(1941年9月3日 - 1943年11月12日)
在ロンドン・ルクセンブルク政府英語版担当
特命全権公使

1942年10月13日 - 1943年11月30日)
在ロンドン・ベルギー政府担当
特命全権公使・大使

(1942年10月18日 - 1943年11月30日)
在ロンドン・オランダ政府英語版担当
特命全権大使

(1943年1月12日 - 11月30日)
チェコスロバキア特命全権大使
1952年7月7日 - 1954年1月16日)
イタリア特命全権大使
(1954年1月22日 - 1957年3月2日)
外務副大臣
(1950年3月 - 1952年7月)
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アレクサンドル・エフレモヴィチ・ボゴモロフАлександр Ефремович Богомолов1900年 - 1969年)は、ソビエト連邦の外交官。

生涯

1900年に生まれ、1920年ボリシェヴィキに入党[1]1922年赤軍高等軍事政治学校を卒業した[3]1919年から1930年まで赤軍で活動し、同年から1939年まで科学・教育部門で働き、同年から翌1940年3月まではソビエト連邦外務人民委員部 (ru) の書記長と第1ヨーロッパ部部長を務めた[4]

その後、同月29日から翌1941年6月30日まで駐フランス・連邦大使、同年から1943年11月30日まで在ロンドン連合国政府担当大使ロシア語版、1941年8月21日から(公式には9月16日から)1943年4月25日までは在ロンドン・ポーランド政府担当大使、1941年8月21日から(公式には10月3日から)1943年11月12日までは在ロンドン・ユーゴスラビア政府スペイン語版担当大使、1941年8月21日から(公式には10月9日から)1943年11月30日まで在ロンドン・ノルウェー政府ノルウェー語版担当大使、1941年9月3日から(正式には10月21日から)1943年11月12日までは在ロンドン・ギリシャ政府担当公使および大使、1942年10月13日から翌1943年11月30日までは在ロンドン・ルクセンブルク政府英語版担当公使、1942年10月18日から翌1943年11月30日までは在ロンドン・ベルギー政府担当公使および大使、1943年1月12日から11月30日までは在ロンドン・オランダ政府英語版担当大使、同年9月21日から翌1944年10月23日まではフランス国民解放委員会ロシア語版担当大使、同日から1950年3月25日までは再度駐フランス大使を歴任した[4]

駐仏大使時代には、西欧に住むソ連人の帰還を試み、1945年にはフランスで「ソ連愛国者協会」を組織[5]。6000人の帰還に貢献した[5]テヘラン会談ヤルタ会談ポツダム会談[1]パリ講和会議にも参加している[5]。1950年3月から1952年7月までは連邦外務副大臣に就き、同月7日から(正式には9日から)1954年1月16日までは駐チェコスロバキア大使、同月22日から(正式には翌2月24日から)1957年3月2日までは駐イタリア大使に就いた[4]

同年2月から1962年までは外務省顧問、1958年からはソ連・イタリア友好協会副会長を務め、1962年に引退[4]1969年モスクワで死去した[4]

脚注

  1. ^ a b c d e Богомо́лов / Великая Отечественная война 1941-1945: энциклопедия. — М.: Советская энциклопедия. гл. ред. М. М. Козлов. 1985.
  2. ^ АЛЕКСАНДР ЕФРЕМОВИЧ БОГОМОЛОВ”. Электронный архив людей. 2018年8月20日閲覧。
  3. ^ Абросимов И. (2009年). “Бл - Бя - Свод персоналий”. Свод персоналий. Проза.ру. 2018年8月20日閲覧。
  4. ^ a b c d e Богомолов Александр Ефремович”. Справочник по истории Коммунистической партии и Советского Союза 1898 - 1991. 2018年8月19日閲覧。
  5. ^ a b c Залесский К. А. (2002). Империя Сталина: Биографический энциклопедический словарь. М.: Вече. ISBN 5-7838-0716-8
外交職
先代:
ニコライ・イヴァノフ
駐フランス全権代表
1941年5月9日から特命全権大使
1940年3月29日 - 1941年6月30日
次代:
なし
先代:
なし
フランス国民解放委員会担当全権代表
1944年10月30日から駐フランス特命全権大使
1943年9月21日 - 1950年3月25日
次代:
アレクサンドル・アブラモフ
代行
先代:
なし
在ロンドン連合国政府担当特命全権大使
1941年 - 1943年11月30日
次代:
ヴィクトル・レベデフ
先代:
ニコライ・シャローノフポーランド語版
駐ポーランド全権代表
在ロンドン・ポーランド政府担当特命全権大使
公式には1941年9月16日から
1941年8月21日 - 1943年4月25日
次代:
ヴィクトル・レベデフ
駐ポーランド人民共和国特命全権大使
先代:
ヴィクトル・プロトニコフ
駐ユーゴスラビア全権代表
在ロンドン・ユーゴスラビア政府担当特命全権大使
公式には1941年10月3日から
1941年8月21日 - 1943年11月12日
次代:
ヴィクトル・レベデフ
先代:
ヴィクトル・プロトニコフ
駐ノルウェー全権代表
在ロンドン・ノルウェー政府担当特命全権大使
公式には1941年10月9日から
1941年8月21日 - 1943年11月30日
次代:
ヴィクトル・レベデフ
先代:
ミハイル・セルゲーエフ
駐ギリシャ全権代表
在ロンドン・ギリシャ政府担当特命全権公使
公式には1941年10月21日から就任
1943年から特命全権大使

1941年9月3日 - 1943年11月12日
次代:
ニコライ・ノヴィコフ
駐ギリシャ特命全権大使
先代:
エヴゲニー・ルビーニン
駐ルクセンブルク全権代表
在ロンドン・ルクセンブルク政府担当特命全権公使
1942年10月13日 - 1943年11月30日
次代:
ヴィクトル・レベデフ
先代:
エヴゲニー・ルビーニン
駐ベルギー全権代表
在ロンドン・ベルギー政府担当特命全権公使
7月20日から特命全権大使
1942年10月18日 - 1943年11月30日
次代:
ヴィクトル・レベデフ
先代:
なし
在ロンドン・オランダ政府担当特命全権大使
1943年1月12日 - 11月30日
次代:
ヴィクトル・レベデフ
先代:
アナトリー・ラヴレンチエフ英語版
駐チェコスロバキア特命全権大使
正式には1952年7月9日から
1952年7月7日 - 1954年1月16日
次代:
P・G・クレコテニ
臨時代行
先代:
ミハイル・コストゥイリョフ
駐イタリア特命全権大使
正式には1954年2月24日から
1954年1月22日 - 1957年3月2日
次代:
セミョーン・コズィレフ



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