アラン=アス人の東方移住
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「アスト部」の記事における「アラン=アス人の東方移住」の解説
アラン=アス人の東方移住について、諸史料は一致してモンケによるカフカース遠征がその原因であると伝える。オゴデイ・カーンの下計画された「バトゥの征西」においてトゥルイ家の家長モンケも一軍を率いて従軍し、バトゥが北方ルーシ諸国に侵攻する間、南ロシア草原からカフカースに居住する遊牧民族を征服した。『元朝秘史』は「バトゥの征西」の経過について以下のように記している。 スベエデイ・バートルの後詰に出征したるバトゥ、ブリ、グユク、モンケらを頭とせる多くの王子たちは、カンクリ人、キプチャク人、バジギル人らを降し、エジル、ジャヤク[の諸河]を越えて、メゲトの城を破り、[多くの]オルス人を殺し、[金は] 残りなきまでに携えさせた。[その上]アス人、セス人、ボラル[人]、マン、ケルマン、キヴァを始めとする城々の民を捕らえ、帰順させて、ダルガチ・鎮成の軍を置いて、帰還した。 — 『元朝秘史』第274節 当時のカフカースにはメゲス(メゲト)を中心とするアス人の政権が存在しており、モンケはこれを征服する過程で多数のアス人を配下に入れ、さらにモンゴル高原にまで連れ帰り、これが東アジアにおけるアス人の起源となった。東方に移住したアス人の境遇・来歴は様々で、早くからモンケに仕えてメゲス攻略にも加わった者(バガトル)、元々は領主の地位にあったが投降した者(アルスラン、ハンクス)、モンケ即位後になって新たに東方に移住した者(ネグレイ、シラ・バートル)などがいる。
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