アラン=アス人の東方移住とは? わかりやすく解説

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アラン=アス人の東方移住

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 15:10 UTC 版)

アスト部」の記事における「アラン=アス人の東方移住」の解説

アラン=アス人の東方移住について、諸史料一致してモンケによるカフカース遠征がその原因であると伝える。オゴデイ・カーンの下計画された「バトゥの征西」においてトゥルイ家家長モンケ一軍率いて従軍しバトゥ北方ルーシ諸国侵攻する間、南ロシア草原からカフカース居住する遊牧民族征服した。『元朝秘史』は「バトゥの征西」の経過について以下のように記している。 スベエデイ・バートルの後詰出征したバトゥブリグユクモンケらを頭とせる多く王子たちは、カンクリ人、キプチャク人、バジギル人らを降しエジル、ジャヤク[の諸河]を越えて、メゲトの城を破り、[多くの]オルス人を殺し、[金は] 残りなきまでに携えさせた。[その上アス人、セス人、ボラル[人]、マンケルマン、キヴァを始めとする城々の民を捕らえ帰順させて、ダルガチ・鎮成の軍を置いて帰還した。 — 『元朝秘史』第274当時カフカースにはメゲス(メゲト)を中心とするアス人の政権存在しており、モンケはこれを征服する過程多数アス人を配下入れ、さらにモンゴル高原にまで連れ帰り、これが東アジアにおけるアス人の起源となった東方移住したアス人の境遇来歴は様々で、早くからモンケ仕えてメゲス攻略にも加わった者(バガトル)、元々は領主地位にあった投降した者(アルスランハンクス)、モンケ即位後になって新たに東方移住した者(ネグレイシラ・バートル)などがいる。

※この「アラン=アス人の東方移住」の解説は、「アスト部」の解説の一部です。
「アラン=アス人の東方移住」を含む「アスト部」の記事については、「アスト部」の概要を参照ください。

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