アランの登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 20:39 UTC 版)
1世紀になると文献からアオルシ(アオルソイ)の名が消え、代わってアランという名の遊牧民が強大となる。このことは漢文史料にも記されており、「奄蔡国、阿蘭と改名す」とある。この奄蔡はアオルシに阿蘭はアランに比定されている。考古学的には2世紀から4世紀における黒海北岸の文化を後期サルマタイ文化と呼んでいるが、この文化の担い手はアランであるとされる。アランについて4世紀後半のローマ軍人アンミアヌス・マルケリヌスは「彼らは家を持たず、鍬を使おうともせず、肉と豊富な乳を常食とする」と記している。 後にアランは北カフカスから黒海北岸地方を支配し、その一部はパンノニアを経てフン族に起因する民族移動期にドナウ川流域から北イタリアに侵入し、一部はガリアに入植した。さらにその一部はバルバロイを統治するためローマ人によってブリテン島へ派遣された。また、その他の一部はイベリア半島を通過して北アフリカにまで到達した。アランより前にパンノニアに進出し、ローマ人によってブリテン島の防衛に派遣されたイアジュゲス族もブリテン島にサルマタイ文化の痕跡を残した。
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