アムール流域の諸部族に対する戦役(1631年-1640年)
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「明清交替」の記事における「アムール流域の諸部族に対する戦役(1631年-1640年)」の解説
国・勢力指導者状況・目的清 ホンタイジ エヴェンキとダウールの連合に勝利 エヴェンキ、ダウール ボムボゴル エヴェンキとダウールの連合。清に敗北 ヌルハチの時代、ナナイの中でも最も南にいたフルカという集団はソソクという人物に率いられて女真に敵対したが、1631年にホンタイジに降伏した。清は征服されたアムール流域の諸部族に対し、男性の頭部の前面を剃ることを強制した。諸部族はもともと後頭部を辮髪にしていたが、清に命ぜられるまでは前頭部は剃らなかった。1640年、清はボムボゴル(中国語版)が率いるツングース系のエヴェンキ・モンゴル系のダウールの連合軍を破った。ボムボゴルは斬首され、清軍はエヴェンキの生存者を八旗に吸収した。こうしてアムール流域の諸部族は八旗に編入された。清は満洲の王女を服属したアムール諸部族の族長と結婚させた。
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