アムール川へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 02:07 UTC 版)
1643年から1689年まで、ロシア人はエロフェイ・ハバロフを筆頭にレナ川の南からアムール地域まで進出することを試みたが、満州人によって追い返された。(清露国境紛争も参照)1689年から1859年まではロシアと中国の国境はアルグン川およびスタノヴォイ山脈であった。1859年に、ロシアはアムール地域を併合した。ロシア人は、西から、ウラン・ウデ(1666年)、チタ(1653年)およびネルチンスク(1654年)を経てアルグン川まで進出した。1727年からロシア・中国の貿易の大部分は、セレンガ川が現在のロシアとモンゴルの国境と交差する場所の近くのキャフタへ移った。
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