アナスタシアの権力奪取
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/23 17:58 UTC 版)
「ガンビーノ一家」の記事における「アナスタシアの権力奪取」の解説
1951年4月、マンガーノは行方不明になり、同時にマンガーノの弟で一家の相談役フィリップは沼地で銃殺死体で発見された。両方ともアナスタシアが殺したと広く信じられている。コステロ一家(現ジェノヴェーゼ一家)のボス、フランク・コステロがアナスタシアの掟破りのボス殺しを事前に了解していたとされる。コステロはボスの座を狙うヴィト・ジェノヴェーゼを牽制するためアナスタシアを一家のボスに後押ししたと言われた。 アナスタシアは副ボスに古参フランク・スカリーチェを据えた。スカリーチェの副ボス抜擢はファミリー内のシチリア勢力を懐柔するためだったとされる。この時代、ファミリー上層部が小遣い稼ぎにメンバーシップを乱発し、組織が膨張した。メンバーシップの乱発はオメルタに触れ、スカリーチェが責任を取らされて1957年6月に粛清された。アナスタシアは、新たな副ボスにカルロ・ガンビーノを抜擢した。 アナスタシアはギャンブルに溺れるようになり、金欠状態に陥って他のファミリーの縄張りを狙うなど悪評が高まった。特にキューバの賭博利権に割り込もうと、キューバに大きな利権を持っていたフロリダのサント・トラフィカンテに触手を伸ばした。
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