アテーナイとの戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 04:50 UTC 版)
後にエレウシースとアテーナイとの間に戦争が起きたとき、エウモルポスはトラーキアの大軍を率いてエレウシースを救援し、アテーナイ人と戦った。しかしアテーナイ王エレクテウスは戦争に勝利するための方法を神託に問い、王の娘を犠牲にしたなら必ず勝利するという答えが返ってきたときに、エレクテウスは末娘を殺した。そのことを知る由もないエウモルポスは、その後の戦闘でエレクテウスと戦って殺され、エレウシースは敗北した。一方、エウモルポスの父ポセイドーンはエレクテウスに報復し、エレクテウスおよびその館を破壊した。パウサニアースによると、アテーナイの伝承ではエレクテウスに討たれたのはエウモルポスではなく、その息子イムマラドスであった。 一部の伝承によると、戦争はエウモスポルの側から始めたものであった。例えばアテーナイのリュクールゴス(英語版)『レオークラテース告発弁論』によると、エウモルポスはアテーナイの領有権を主張して戦争を仕掛けてきたと語られている。トラーキアの大軍勢を率いたエウモルポスに対して、エレクテウスはデルポイの神託に頼らざるを得ず、神託は交戦前に娘の1人を生贄にするよう告げたという。ヒュギーヌスは、エウモルポスはアテーナイがかつて父ポセイドーンの土地であったと主張し、戦争で奪還しようとしたと述べているが、その後の展開は独特である。エウモルポスが殺されると、ポセイドーンは報復としてエレクテウスの娘を生贄として要求し、さらにエレクテウスを雷で撃つようゼウスに懇請した。 戦争後、エレウシースはアテーナイに従属することとなったが、デーメーテールとペルセポネーの秘儀はエレウシース側が保持し、エウポルモスとケレオスの娘たちディオゲネイア、パンメロペー、サイサラーが秘儀を執り行なった。エウモルポスの墓については、エレウシースとアテーナイのどちらにもあったとパウサニアースは報告している。
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