アップフロントガールズ(仮)結成へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 21:45 UTC 版)
「アップアップガールズ(仮)」の記事における「アップフロントガールズ(仮)結成へ」の解説
元スマイレージマネージャーで、アップフロントガールズ(仮)結成のキーパーソンとなった山田昌治は、かつて自社(アップフロントエージェンシー)のタレントである里田まいの才能について気づいていなかった。しかし里田はクイズ!ヘキサゴンIIへの出演をきっかけにブレイクしていった。テレビ局に対する宣伝を担当していた山田はそのことに驚くとともに「タレントについて見えている部分が狭すぎた」と反省していた。そんな折に山田はハロプロエッグのメンバーが研修課程を修了すると知り、同メンバー達のまだ気づかれていない才能を掘り起こしたいと考えた。 一方、当時のアイドルに関する環境としては、以下のような事項が挙げられた。 ソロ歌手にとって苦しい環境である。 激動の渦の中にあり「アイドル戦国時代」と呼ばれる時代であった。 1.のような理由から、ソロアイドルではなくアイドルグループを結成することにした山田は、メンバー構成も頭の中に描いていた。仙石・古川・森・佐保の4名については、研修課程を修了したハロプロエッグメンバーの中では知名度・イベント出演頻度が高かったことなどからメンバーに選んだ。佐藤・関根・新井の3名については最後の新人公演を見た上で、ハロプロエッグマネージャーの大澤にもアドバイスを求め、メンバーに選んだ。アップフロントガールズ(仮)は、グループとしてメンバーのバランスが考えられたわけでは無く、ハロプロエッグを卒業したメンバーの受け皿となるプロジェクトとして構想されていたが、結成以降は1つのグループとして活動していくことになる。 また山田は、2.のような理由から、既存のアイドルグループとは別の売り出し方を考えていた。関根によれば、結成の際、所属事務所から「今までのハロプロとは全然違うことをやっていく」と言われたという。
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