アコースティックでの製作、エイズ啓発チャリティー
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「桑田佳祐」の記事における「アコースティックでの製作、エイズ啓発チャリティー」の解説
1993年7月、桑田はサザンとして発売した「エロティカ・セブン」のヒット直後に再びソロ活動を始動させた:78。第2期ソロ活動では小倉博和との共同作業を行い、10月には3枚目シングル「真夜中のダンディー」をソロで発売した。11月に札幌厚生年金会館で行われた泉谷しげるの奥尻島救済コンサートに参加、12月にアクト・アゲインスト・エイズの一環でAct Against AIDS '93に出演するなど、チャリティー活動も行った。 1994年2月に母が心筋梗塞により60歳の若さで死去。このことは当時の作風に影響を与えている:53 - 59。8月には4枚目シングル「月」を発売し、9月には2枚目アルバム『孤独の太陽』を発売した。アルバムは前作とは異なり、楽器本来の音に着目したアコースティック(アンプラグド)・フォーク路線を展開した:53 - 59。10月末には5枚目シングル「祭りのあと」を発売。12月にはAct Against AIDS '94に出演し、年末には年越しライブを開催した:12。 1995年に入り、1月に小林武史によるプロデュースでMr.Childrenとコラボしたチャリティーシングル「奇跡の地球」を発売。半年間による期間限定販売であったが、170万枚以上を売り上げ、全ての収益金が「Act Against AIDS基金」に充てられた。4月からは現在も放送しているラジオ番組『桑田佳祐のやさしい夜遊び』が開始した。5月からはサザンとしての活動を再開した:12。 1995年も引き続きAct Against AIDS '95に出演した。1996年以降は桑田が単独でアクト・アゲインスト・エイズの一環したライブを開催した:13。
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