アゲル・ファレルヌスでのカルタゴ軍
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「アゲル・ファレルヌスの戦い」の記事における「アゲル・ファレルヌスでのカルタゴ軍」の解説
アルピを出た後、ハンニバルはサムニウムに向かって西へと進路を変え、ベネヴェントゥム(現在のベネヴェント)に向かい、周辺を思いのままに略奪した。ファビウスは用心深く高地を通りながらカルタゴ軍を追尾した。ベネヴェントゥムはハンニバルに門を閉ざしていたが、そこから北に転進しヴェノシアまたはテルシアと呼ばれる街の占領に向かった。そこから南西に向かい、ラティウム南方でカプア北方の肥沃な川沿いの平地であるアゲル・ファレルヌスを目指した。アリファエ(en)、カリファエを通過し、ヴォルトゥヌス川(現在のヴォルトゥルノ川)を渡河してカレス(現在のカルヴィ・リゾルタ)に至り、最後にカシリヌム(en、カプアの北西3マイル)に達した。ハンニバルはこの肥沃な土地で兵を休め、ローマの軍事行動に遮られること無く、夏の間に戦利品として家畜、穀物、補給物質さらには捕虜を得た。 アゲル・ファレルヌスから出るには8本の道路があったが、カルタゴ軍はヴォルトゥヌス川の北に位置しており、かつ全ての橋はローマ軍が押さえていたためハンニバルが利用可能な道路は3本のみであった。ファビウスはこれを戦略的機会と捉え、カルタゴ軍を罠にかけようとした。実際にはそうはならなかったが、ハンニバルがこの罠にはまりそうになったのは、イタリア人の案内人がカシヌムとカシリヌムを間違えたという説と、捕虜からカルタゴ軍がカンパニアに到着するとカプアはカルタゴ側につくかもしれないと聞いたためという説がある。あるいは、ローマ軍はそこに住むイタリア軍の資産を守る能力が無いことを見せ付けるためだったという説もある。
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