アイディアと発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 15:19 UTC 版)
「リトファスゾイレ」の記事における「アイディアと発展」の解説
ポスターのための柱を設置するというアイディアが生まれたのは、当時はポスターを無断で貼付することが横行していたためであった。リトファスは当局に、人々がポスターを張れるように、街中に柱を設置することを提案した。折衝は何年にもわたったが、1854年12月5日、ベルリン警視総監カール・ルートヴィヒ・フォン・ヒンケルダイ(ドイツ語版)から、リトファスに初の Annoncier-Säulen(告知柱)の設置許可が下りた。都市ベルリンは、広告柱の1865年までの独占設置を許可した。 ただしこれは最新ニュースを掲示するという目的もあってのことであった。1855年にはベルリンで最初の100基が設置され、発明者リトファスを讃えてその名が付けられた。1865年には、さらに50基が設置された。当局、広告顧客ともに、この新しい広告メディアの長所がすぐに周知されるようになった。国家にとっては、広告内容の事前の検閲が可能になったことが挙げられる。広告主にとっては、ポスターが貸借期間中、他のポスターが上から貼られることがないという安心感があった。
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