わが生涯よりとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > デジタル大辞泉 > わが生涯よりの意味・解説 

わがしょうがいより〔わがシヤウガイより〕【わが生涯より】

読み方:わがしょうがいより

原題、(チェコ)Z mého života》スメタナ弦楽四重奏曲第1番副題ホ短調1876年作曲。自らの半生四つ楽章描いた自伝的な作品として知られる


弦楽四重奏曲第1番 (スメタナ)

(わが生涯より から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/05 16:50 UTC 版)

自筆譜

弦楽四重奏曲第1番 ホ短調「わが生涯より(チェコ語Z mého života)」は、ベドルジハ・スメタナ1876年の10月から12月にかけて作曲した弦楽四重奏曲[1]

概要

作曲者自身の生涯を象徴する半自叙伝的な内容をもち、「わが生涯より(チェコ語:Z mého života)」という副題が付けられている。第1楽章の開始においてヴィオラが高音域で主旋律を奏でることや、終楽章において第1ヴァイオリンハーモニクスでホ音の保続音(スメタナに聞こえていたという幻聴象徴。実際にはイ長調の主和音が聞こえていたという)を奏でることで名高い。

聴力を失ったスメタナが、プラハからヤブケニツェチェコ語版へと隠遁して間もない1876年10月頃から作曲が開始され、同年末頃に完成[1]。しかし、第3楽章が技術的に困難であるとされたことや、様式的に欠陥があると指摘され、初演の引き受け手がなかなか見つからなかった[1]。完成から2年が経過した1879年3月26日に、スメタナの友人であるスルブ=デブルノフの家でようやく初演された(試演とも)[1]。このときヴィオラ奏者を務めたのがアントニン・ドヴォルザークであった[1]。公開初演はスルブ=デブルノフ家での試演から3日後の、1879年3月29日にフェルディナント・ラハナーやアロイス・ネルーダ、ヤン・ペリカーン、ヨゼフ・クレハンの4名による演奏でプラハで行われた[1]。初演を引き受けた4名は、スメタナが隠遁する前に指揮者として活動していた仮劇場のオーケストラの中心メンバーであった[1]。また、この曲はフランツ・リストの眼前でも演奏されており、リストはこの作品に熱狂したという。

以下の4つの楽章から成り、上演時間は約30分。

  1. Allegro vivo appassionato
  2. Allegro moderato
  3. Largo sostenuto
  4. Vivace

「わが生涯より」という副題のもとにどのような標題が隠されていたのかは、作曲者自身の1879年7月21日の書簡から明らかになる。

脚注

  1. ^ a b c d e f g 佐川吉男スメタナ弦楽四重奏団「スメタナ: 弦楽四重奏曲 第1番 <<わが生涯より>>・第2番」『SMETANA: String Quartets "From My Life" & No.2』、DENON日本東京都港区虎ノ門、pp. 4-6頁、1990年。COCO-6361。 

外部リンク



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「わが生涯より」の関連用語

わが生涯よりのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



わが生涯よりのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの弦楽四重奏曲第1番 (スメタナ) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS