ものまねシンガーとしてブレイク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 17:27 UTC 版)
「荒牧陽子」の記事における「ものまねシンガーとしてブレイク」の解説
『シルシルミシル』(テレビ朝日)や『Mero.jpミュージックChannel』(TOKYO MX)などの番組でガイドボーカルのカリスマとして登場するなどメジャーなメディアにも露出しはじめ、様々なジャンルの新しいスターを探していた日本テレビのスタッフ陣が荒牧に着目、ものまねシンガーとしてのメディア登場を促し、2011年7月19日放送のバラエティ番組『スター☆ドラフト会議』で、遂にものまねデビューを果たす。そこで平原綾香、倖田來未、坂本冬美、大塚愛、MISIA、レディー・ガガなどのものまね10連発に挑戦し大きな反響を獲得、圧倒的な歌唱力と妖艶な美貌も相まって一気にブレイク、イベントやテレビ等、500件以上ものオファーが舞い込んだ。事務所オファーもエイベックス・グループ、ケイダッシュ、太田プロダクションなど11社にのぼり、争奪戦の末ケイダッシュ系列のピーチ所属となった。 (所属事務所は後にフリースタイルへ移籍) その後も『スター☆ドラフト会議』や『ものまねグランプリ』をはじめ、在京キー局のバラエティ番組を中心に多数のメディアに登場し、並行して全国でものまねシンガーとしてイベントやディナーショーを開催する等して世間での知名度を上げて行った。
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