みづうみに金銀の斧結氷す
作 者 |
|
季 語 |
氷 |
季 節 |
冬 |
出 典 |
|
前 書 |
|
評 言 |
この「金銀の斧」を、安直にメタファーと呼ぶことはできない。ましてそれは、単なる昔話のパスティーシュでもない。作者にとって、それはもっと実在に近い存在に違いない。幻視と言えば分かりやすいが、それ以上に作者は、「金銀の斧」という言葉の向こうに存在するすべてを感じ取りながら詠っている。 例えば、金子兜太の「梅咲いて庭中に青鮫が来ている」の「青鮫」を、「光」や「寒さ」のメタファーということで片付けようとする人たちがいる。分かりやすいことではあるが、そうした解釈は作品の一面しか示せず、作品を痩せ細らせてしまう。 「金銀の斧」は、メタファーとして波や氷の光の色と質感を伝え、パスティーシュとして、湖が人々の生活と関わってきた太古からの歴史を暗示する。同時に「金銀の斧」というゴージャスな字面、「kingin no ono」という畳み掛ける響き、その意味、そのイメージの総体が、この作品の「金銀の斧」である。意味やイメージということで言えば、「金銀の斧」は、単に「金の斧と銀の斧」ではない。それも含めた、もっと複雑で不可思議な何ものかが、「金銀の斧」である。 詩歌の言葉は、読みの可能性のすべてを含んでいる。解釈とは、それを単純化することではない。その複雑な重層のすべてを、読み取っていかなければならない。 <写真も筆者による> |
評 者 |
|
備 考 |
- みづうみに金銀の斧結氷すのページへのリンク