それ吹(ふ)けやれ吹(ふ)け
読み方:それふけやれふけ
- 天保末年頃より明治初年頃まで各地に於て行はれたる見世物の名称なり。『守貞漫稿』の大阪今宮十日戎の項に「莚囲ひの小屋を作り、中央に床を置き、若き女に紅粉を粧させ、古胡床に腰を掛させ……美女を画きし招牌を木戸上にかけ、八文ばかりの木戸銭を取り、女は○を○き○○を顕はし、竹筒を以て之を吹く時、○を○○に○○、衆人の中之を吹いて笑はざる者には賞を出す。江戸は両国橋東に年中一二場あり……」と記せり。此醜態の見世物を「それ吹けやれ吹け」と称せしは、附添男のかけ声に因りて名づけしなり(尚委細は予の著書『猥褻風俗史』及び『此花』第十九枝に記せり)嘉永頃大阪にて流行せし大津絵節の文句に「広田に吹け吹け前ひろげ」といへるがあり。広田とは当時今宮村の新開地にて諸種の興行場たりし地名なり。此外に「それ突けやれ突け」と云ふもありたり。そは竹筒を以て吹くにあらず、客に陰茎形の長き棒を持たせて突かせしなり。いづれも明治五年の末頃まで行はれしが、法令にて禁止されたり。
- 前条(※「それつけやれつけ」)参照。「守貞漫稿」大阪今宮十日戎の項に「莚囲ひの小屋を作り、中央に床を置き、若き女に紅粉を粧させ、華なる古掛を着せ、古の胡床に腰を掛させ、女の背腰以下は板壁にて木戸外より女の背を見せ、髪飾多く掛(しかけ)の裾を右の板壁に掛け美女を画きし招牌を木戸上にかけ、八文計の銭をとり、女の裾を開き陰門を顕し、竹筒を以て之を吹く時腰を左右にふる、衆人の中之を吹いて笑はざる者には賞を出す。江戸は両国橋東に年中一二場あり。小屋女の扮(いでたち)、前に同じ。或は片輪もの因果娘、蛇遣の類、専ら陰門を曝して見世物とす、是亦八文」とあり。「吹け吹けは笑はぬ方へ福あたへ」。
- 「ふけふけ」を見よ。
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