清寧天皇
雄略天皇を父とし、母は葛城円大臣(かずらきのつぶらのおおおみ)の娘韓媛。
雄略22年に立太子し、翌23年に雄略が崩御すると皇位についた。
この間に雄略天皇の皇妃吉備稚媛の子星川皇子が皇位を簒奪しょうとしたのでこれを討った。
宮は磐余甕栗宮とされている。
清寧天皇は皇后・皇妃、皇子女がおらず生前に皇太子をたてられなかった。
| 第22代天皇 | |
| 天皇名 | 清寧天皇 |
| 読み方 | せいねいてんのう |
| 名・諱等 | 白髪武広国押稚日本根子命 |
| 読み方 | しらかのたけひろくにおしわかやまとねこのみこと |
| 時代区分 | 古代 |
| 天皇在位 | 480?年から484?年 |
| 生年 | 生年不詳 |
| 没年 | 没年不詳 |
| 父 | 雄略天皇 |
| 母 | 葛城韓媛 |
| 兄弟 | □□□ |
| 配偶者 | □□□ |
| 皇子女 | □□□ |
| 即位宮 | 磐余甕栗宮 |
| 天皇陵 | 河内坂門原陵 |
| 所在地 | 大阪府羽曳野市西浦 |
清寧天皇 河内坂門原陵
(せいねいてんのう こうちのさかどのはらのみささぎ)
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