さんふらわあ8
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/17 09:26 UTC 版)
| さんふらわあ8 | |
|---|---|
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1978年
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| 基本情報 | |
| 船種 | フェリー |
| 船籍 | フィリピン |
| 所有者 | 日本高速フェリー 来島どっく |
| 運用者 | 日本高速フェリー ブルーハイウェイライン |
| 建造所 | 来島どっく大西工場[1] |
| 姉妹船 | さんふらわあ5[1] |
| 建造費 | 47億円 |
| IMO番号 | 7313913 |
| 改名 | さんふらわあ とさ |
| 経歴 | |
| 起工 | 1972年3月14日[1] |
| 進水 | 1973年3月5日[1] |
| 竣工 | 1973年6月25日[1] |
| 就航 | 1973年7月4日 |
| 運航終了 | 1997年7月 |
| 要目 | |
| 総トン数 | 12,759 t[1] |
| 載貨重量 | 3,280 kt[1] |
| 排水量 | 11,304 kt(満載時)[1] |
| 全長 | 185.0 m[1] |
| 垂線間長 | 170.0 m[1] |
| 最大幅 | 24.0 m[1] |
| 型深さ | 15.6 m[1] |
| 満載喫水 | 16.4 m[1] |
| 機関方式 | ディーゼル |
| 推進器 | 可変ピッチプロペラ 2軸[1] |
| 最大速力 | 26.2ノット[1] |
| 航海速力 | 24.0 ノット[1] |
| 航続距離 | 6,000海里[1] |
| 旅客定員 | 1,079名[1] |
| 車両搭載数 | トラック84台、乗用車81台 |
さんふらわあ8は、日本高速フェリーが運航したフェリー。後に航路を継承したブルーハイウェイラインでも運航された。
概要
さんふらわあシリーズの4番船として、さんふらわあ5とともに来島どっく大西工場で建造され、東京 - 那智勝浦 - 高知航路に1973年7月4日に就航、本船の就航により毎日運航となり、那智勝浦港への寄港が開始された。親会社の照国海運倒産による運航体制の縮小により、1976年10月にさんふらわあ5が名古屋 - 高知 - 鹿児島航路に転配された後も、本船は引き続き東京 - 那智勝浦 - 高知航路に就航した。
1982年7月、来島どっくで旅客設備の改装工事を実施、総トン数が増加した。
1984年2月、来島どっくに売却され、日本高速フェリーがチャーターバックして運航を継続した。
1990年には日本沿海フェリーへ譲渡され[2]、6月のドック入り時には同社のファンネルマークデザインが施された[3]。
11月にブルーハイウェイラインへの社名変更後には、さんふらわあ とさと改名しファンネルマークもオレンジ一色となった。
1997年7月、さんふらわあ くろしおの就航により引退した。
その後は、海外売船され、フィリピンのスルピシオ・ラインズでPRINCESS OF NEW UNITYとして就航した。
設計
3番船「さんふらわあ5」と同型船である。就航時は日本最高速のフェリーだった。先に建造された2隻の設計を踏襲しているが、旅客設備の拡充により、操舵室が1層高い配置となり総トン数が増加、ラウンジを内側に配置することで、客室を海側に配置するなど、船内配置も見直されている。1等船室はバス・トイレ付きとなったが、隣室と共有する構造で乗客には不評だったため、さんふらわあ5では後に改装が行われたが、本船は引退までそのままであった。建造費は47億円と1番船、2番船と比較して増加した。
事故・トラブル
- 1975年10月18日午前9時20分頃、那智勝浦港への入港の最中、船腹に大きなうねりを受け左舷方向に25度の強い傾斜が発生し乗客10数人が転倒、車両甲板内の冷凍トラック2台が横転[4]。1名が胸骨を骨折するなど[4]、2名の負傷者が発生し那智勝浦町立病院へ搬送の後海上保安署へ届け出ず高知へ再度航行するも乗客からの連絡で高知海上保安部が検証を行った[5]。原因はフィンスタビライザーを早期に収納した事と見られている[4]。
脚注
外部リンク
- 東京←→那智勝浦←→高知航路 - ブルーハイウェイライン
- さんふらわあ8のページへのリンク