木崎盛政(きさきもりまさ 1867-1945)
木崎盛政は、慶応3年(1867)山形藩士木崎龍馬の嫡男として生まれ、同地の師範学校を卒業、教員、校長を経て、陸地測量部修技所第一期生となりこれを経て、創設間もない陸地測量部に入った。修技所を終えて三角科を志望したが、地図作製の腕が優秀であったため製図科に配属された。このことが不満であった木崎は、勤務を怠り、ついに明治27年懲戒免官となったという(同30年に赦された)。
この間修技所教官となり、ドイツ帝国陸地測量部にも留学したというが、懲戒免官との関係からか、「測量・地図百年史」にもそのことの記載がない。
明治30年民業への転出を決意し退官し、民間地図の製作に従事し、日本で最初の近代的地図帳「冨山房 最新日本地図」(明治32年1889)、日本で最初の1冊ものの百科事典「日本家庭百科語彙」(1906)、及び「大日本地名辞書」(吉田東伍著 1907)などに納められた地図を作製したほか、教科書地図、掛図など多くの民間地図の作成にあたった。
大正期には文部省嘱託となり、国定教科書の地図製図も担当した。木崎家の次弟、末弟とも地図製図に従事し、地図製作者一家となる。


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