川畑幸夫(かわばたゆきお? 1905-?)
川畑幸夫は、1933年旧満州新京の歓喜嶺に設置した経緯度原点の天文観測を宮地政司、高崎誠とともに担当した。同測量は満州進出に伴い当地の地形図作成のために実施する三角測量の基準とすることを目的とした。
その満州新京原点から出発した三角網(三角鎖)と朝鮮半島へと結合された日本経緯度原点からの三角網とを朝満国境付近で結合したときに、大きな違いが発見されたことはよく知られている。その原因は、川畑らの天文測量にあったのではなく、日本海溝にごく近い位置にあることで鉛直線偏差の影響を受けた日本経緯度原点側にあった。
一方ジオイドの凹凸は、各地の準拠楕円体上の三角測量結果と天文測量の結果から(鉛直線偏差として)知ることができるのだが、熱海景良(1933)と川畑幸夫(1935)は、各地のそれぞれの観測結果をもとにして、日本周辺のジオイドを求めたことでも知られる。
川畑幸夫は、のちに中央気象台へ転任し、著書には「球面星学」、「水文気象学」(1961)、「天文・気象図説」(和達清夫共監修 1953)などがある。

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