かつて存在した寺院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 07:39 UTC 版)
「川島町 (岐阜県)」の記事における「かつて存在した寺院」の解説
妙性坊天台宗寺院、寂光山威徳院一乗寺として大同2年(802年)尾張国葉栗郡笠田村に建立。洪水で流出後、建久7年(1196年)に来善庵として再建。仁治元年(1240年)に浄土真宗に改宗し妙性坊に改称する。大永6年(1526年)に尾張国葉栗郡伏屋村に移転し、天正4年(1576年)に尾張国葉栗郡北方村(現・愛知県一宮市北方町北方下本郷1-68)に移転。 跡地(白鬚神社の西、約50m付近)には、川島町が設置した「妙性坊の寺跡」の石碑がある。 西光坊明応5年(1496年)尾張国葉栗郡河田島村に建立。元禄12年(1699年)に秀光山礼徳寺に改称し、尾張国葉栗郡大野村に移転。正徳2年(1712年)に来徳寺に改称し尾張国葉栗郡河田村(現・愛知県一宮市浅井町河田376-1)に移転。 西光坊(さいくぼ)の名は、は河田町の字名として残っている。 少林寺応長元年(1311年)尾張国葉栗郡小網島村に臨済宗南禅寺派の寺院として、夢窓疎石が建立。洪水の影響で荒廃するが、明応8年(1499年)臨済宗妙心寺派の寺院として再興され、美濃国各務郡新加納村(現・岐阜県各務原市那加新加納町2104-1)に移転。 跡地(岐阜県消防学校の北西、木曽川堤防)には、川島町が設置した「史跡 少林寺跡」案内板がある。 ※ この節の出典は『川島町史通史編』。
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