葛飾為斎(かつしかいさい、1821-1880〉
葛飾為斎は江戸の人で、葛飾北斎に学び、錦絵、版本の挿絵、肉筆画などを手がけた。浅草蔵前や向島辺り、そして横浜にも住み、北斎も旅した小布施も訪れた。横浜が開港されると(安政6年 1859)、輸出向けの浮世絵を多く描いて利を得たといわれる。著作として元治元年(1864年)刊行の絵手本『為斎画式』二冊、翌慶応元年(1865年)刊行の『花鳥山水図式』五編など。肉筆画では、「雷神図」や「玉巵弾琴図屏風」などが知られる。
地図・測量者にとって浮世絵師葛飾為斎は、甲斐広永編の測量書『量地図説』(嘉永5年 1852)の「高き所を量る図」などとある挿絵のことでなじみである。ちなみに師の葛飾北斎の(最後となる)版画作品にも、和算家で盛岡藩士の梅村重得の依頼により描いた「地方測量之図」がある。

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