うたごえ運動とポピュラー音楽
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 15:16 UTC 版)
「うたごえ運動」の記事における「うたごえ運動とポピュラー音楽」の解説
創作を活動の源泉とするうたごえ運動であるが、荒木栄などが活動した1960年頃から1970年代初頭までの間は、自分たち以外の音楽ジャンルについて、ジャズやポップスはアメリカ帝国の日本への文化侵略、演歌や歌謡曲は単なる大衆迎合などという解釈を与えていた。また当時流行していた反戦フォークなどに対しては、「社会派歌謡曲」「資本に泳がされている」「大衆の不満をそらすためのガス抜き弁」などとの解釈を与え、ほぼ敵対に近い状態であった。 1970年代になって安保闘争など左翼の大衆運動が衰退すると、今度はポップスを研究して新しい傾向の創作を始めた。 また日本のポピュラー音楽界にも、もんたよしのり、上條恒彦やさとう宗幸のように、歌声喫茶のリーダーの経験者もいる。いずみたくは、うたごえ運動より、日本のポップスの作曲を多く手がけている。 一方、阿久悠は歌声喫茶には行かず、モダンジャズ喫茶に行っていたことを回想している。山本夏彦は、テレビ番組の懐メロ企画において古賀政男のヒット曲は登場しても、うたごえ運動からのヒット曲は一つも出てこないことを指摘している。
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