『行録』より
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 02:18 UTC 版)
5月29日、白髪の老人の夢を見た李舜臣は、日本軍が来るという予知夢だと考え、諸将に出撃を命じた。露梁海峡に進出すると、日本軍の船舶に出くわした。朝鮮水軍の大艦隊を見た日本軍は退却し、これを追跡して泗川に至った。朝鮮側は13隻の敵船を焼き、弓矢を受けて水中に身を投じた敵兵約100名が溺死した。戦闘では李舜臣も左肩に被弾して、流血が踵まで滴っていたが、そのまま指揮を続けた。戦後、(治療のために)ナイフで肉を割いて弾を取り出したが、その時になって周囲は将軍が負傷していたことに気づいて驚いたが、李舜臣は談笑していたと云う。朝鮮では敵を殺した証拠に左耳を切り取る習慣があったが、戦うことを優先するために、以後は射殺するのみとすることになった。
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