『改正三河後風土記』等に記載された“松川合戦”の概要と経緯
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“松川合戦”の概要は、江戸幕府の奥儒者である成島司直により、幕末期の天保4年(1833年)に『三河後風土記』を改撰した『改正三河後風土記』の第42巻に、「上杉伊達合戦の事」として詳細が記述されている(出典として、夏目記、安民記、武隠叢話、藩譜)。この合戦の時期は誤り多く、慶長5年7月27日、28日(原書)、7月21日説(家忠日記)は共に誤りであり、「夏目記・安民記に従い、慶長6年の事とす。武隠叢話に載せたる上杉の家士北川次郎兵衛の記も夏目記に同じ。藩譜の注文に北川ガ記詳らかにしてよりどころあり」と記述されている。 慶長6年4月26日、伊達政宗は、上杉領に侵攻するも、上杉勢の必死の抵抗の前に敗走する。
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