『上宮記』『帝紀』『旧辞』『国記』『天皇記』との関連とは? わかりやすく解説

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『上宮記』『帝紀』『旧辞』『国記』『天皇記』との関連

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 02:57 UTC 版)

日本書紀」の記事における「『上宮記』『帝紀』『旧辞』『国記』『天皇記』との関連」の解説

聖徳太子による国史成立以前にも各種系図存在した。これらを基礎にして、継体天皇系図記した上宮記』や、『古事記』『日本書紀』作られたとする説もある。仮に、推古朝600年頃に『上宮記』が成立したとするなら、継体天皇オホド王)が崩御し継体天皇25年531年)は当時から70年前である。なお、記紀編纂基本史料となった帝紀』、『旧辞』は7世紀ごろの成立考えられている。 『日本書紀』には、推古天皇28年620年)に、「是歲 皇太子島大臣共議之 錄天皇記國記 臣 連 伴造 國造 百八十部并公民等本記」(皇太子厩戸皇子聖徳太子)、島大臣は蘇我馬子)という記録がある。当時ヤマト王権史書編纂資する正確かつ十分な文字記録があったと推定しうる根拠乏しく、その編纂事実あったとしても、口承伝承多く頼らざるを得なかったと推定されている。なお、『日本書紀』によれば、このとき、聖徳太子らが作った歴史書国記』・『天皇記』は、蘇我蝦夷入鹿滅ぼされたときに大部分焼失したが、焼け残ったものは天智天皇献上されたという記述がある。

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