『ユングリンガ・タル』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/11 06:02 UTC 版)
「フィヨルニル」の記事における「『ユングリンガ・タル』」の解説
スノッリは、9世紀に成立した『ユングリンガ・タル』(en)における数行の詩も引用している。詩では、フィヨルニルがフロージの住居において蜜酒により命を落とした旨が語られている。 Varð framgengt, þars Fróði bjó, feigðarorð, es at Fjölni kom; ok sikling svigðis geira vágr vindlauss of viða skyldi. 『ノルウェー史』。12世紀後半に成立したノルウェーの歴史書)は、『ユングリンガ・タル』のラテン語による概要を掲載している。それは、スノッリが引用したものより古いものである。この文献も、フィヨルニルがフレイの息子でありスヴェイグジルの父であること、蜂蜜酒の樽の中で浸死することを伝えている。 Froyr vero genuit Fiolni, qui in dolio medonis dimersus est, cujus filius Swegthir [...] 大意:フレイがフィヨルニルを生んだ、彼は蜂蜜酒の大樽の中で溺死した。彼の息子、スヴェイグジル、… それより古い文献である『アイスランド人の書』も、『ユングリンガ・タル』での王家の系統を列挙し、それにもフレイの後継者とスヴェイグジルの先代として、フィヨルニルを挙げている。加えてこの文献は、フィヨルニルがフロージ王(「平和」のフロージ)のもとで死んだことを手短に述べている。 iii Freyr. iiii Fjölnir. sá er dó at Friðfróða. v Svegðir: .
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